昭和初期221万戸から146軒へと99.9999%激減。「ほぼ絶滅」の国内でのシルク作りを「復活させねばならぬ」深刻な理由
なぜ国産シルクは衰退してしまったのか?「国内だけではまかなえない現状」
これほどまでにいいことづくめのシルクですが、国内では衰退の一途をたどっています。最盛期の昭和初期、養蚕家数は221万戸でしたが、2022年は163軒、23年はわずか146軒。 「養蚕をしても儲からない。だから後継者がいないのが原因です。桑園、蚕種、飼育、病虫管理と養蚕関係は多岐に亘り、それぞれ高度な専門技術を必要とします。ですが養蚕農家の減少とともに国や県の技術者も減少し、残る技術者も高齢化 しています。同様に製糸関係の技術者も減少し、高齢者が 中心。どちらも現場が縮小している現状では後継者を立てることが難しいのです」 また、生糸の加工から製織及び製品化までの中間工程(撚糸,精練・染色等)では小規模な業態が多く、業界の縮小等の影響を直に受け易いため廃業が進んでい ます。 世界的にはシルクの需要も養蚕業も伸びており、現在の養蚕が一番盛んな国は中国ですが、今後はさらに発展途上の国にシフトしていくと考えられています。
そんな中立ち上がった「お蚕さんに夢中な会社」。この国の養蚕を変える
逆風以外の要素が見つからないこの状況の中、敢えて「国産の絹」にこだわりを持って立ち上がった企業があります。「絹屋」ブランドを企画販売する「大醐」です。同社は「日本のモノづくりを未へ」を掲げ、ブランドの発足時から日本製にこだわり、モノづくりを担う工場と一緒にモノづくりを進めています。 「7年ほど前、愛知県豊田市稲武町の農家さんが、弊社の直営店に突然訪ねてきました。ただでさえ養蚕農家さんは少ないので、直接お越しいただくなんて初めてのことで、いったい何がと慌てましたが、お話を伺うと『稲武町の養蚕の伝統をなんとか一緒に守れないか?』という悲痛なご相談だったのです。稲武町の絹は天皇陛下の大嘗祭でも使われる逸品、その稲武を含め愛知県の養蚕業が当代で絶えてしまうことはあまりにも悲しい、でもゼロにはなっていない今ならまだ伝えることができる。何とか復興させられるのではないか、いまが最後の最後のタイミングなのではないかと。ハッとしました、確かにそうだ、いま手を打たないと脈々と伝えられてきた記憶そのものがなくなってしまうと」 私たちが生まれたころ、1970年にはすでに40万戸まで減少していた養蚕農家ですが、2023年には前述のとおり146戸まで激減しています。ゼロになったものをイチに戻すのは大変な労力が必要であることは、たとえば絶滅した動物を戻すことができないことでも明らか。自動車産業の前に日本の産業を支えた養蚕の文化や伝統を絶やしてはいけない。 「ですが、養蚕は儲からないから後継者もいない事も事実。国からの補助金はありますが、とてもではないが続けられないのです。必要なのは 今の時代にあわせた養蚕のあり方なのではないかと考えるようになりました」