横田早紀江さんが明かす、孫娘ウンギョンさんとの「奇跡の対面」の舞台裏 「和やか」が一変、緊迫のやりとり…めぐみちゃんの「命の証し」かみしめたが、拉致知らせない「閉鎖国家」実感も
▽失踪、「死亡」通告、孫の存在判明…数奇な運命思い起こす 出発の前夜。めぐみちゃんが失踪した夜や、ウンギョンさんの存在が明らかになった日を思い起こした。日朝の動きに激しく巻き込まれる数奇な運命だと改めて心に刻んだ。 めぐみちゃんは1977年11月15日、13歳で突然姿が消えた。北朝鮮に拉致された疑いが判明したのは97年1月末だった。日本では他にも多くの拉致被害者がいることが次第に明らかになる。 事態が動いたのは2002年9月17日。平壌で開かれた初の日朝首脳会談で、当時の金正日総書記が小泉純一郎首相に拉致を認めて謝罪した。後に被害者5人が帰国したが、めぐみちゃんを含む被害者8人について北朝鮮は「死亡」と説明。私たち、日本側は不審点が多いことから受け入れなかった。ただ北朝鮮はこの時、めぐみちゃんについてこうも伝えてきた。「結婚して、娘がいる」 あの時15歳だった少女はあどけない顔で、日本メディアの前に現れた。テレビカメラを通じて「おじいさん、おばあさんに会いたい」「こちらに来てほしい」と呼びかける。ウンギョンさんだった。「娘にそっくりな孫」の存在に、お父さんは訪朝を強く望み、心が揺れた。だが、私をはじめ家族や支援者らが「北朝鮮に利用されかねない」と何度も説得し、お父さんは渋々受け入れた。それ以来、会いたい気持ちをずっと抑えてきた。モンゴルでの初対面まで12年たっていた。
▽聖句「苦難の中に希望を」を胸に 別れの日はすぐに来た。3月14日、迎賓館の玄関先で迎えの車に乗り込むと、ウンギョンさんが窓辺に駆け寄ってくる。寒風の中、窓を開けて手をぎゅっと握り、改めて伝えた。 「(めぐみちゃんや他の拉致被害者は)絶対生きている。おばあちゃんも他の家族もそう信じているのよ。会える日が来るまで希望を失わないでね」 孫のほおに涙が光った。私の気持ちが分かってもらえたのではないか。そう確信している。 何より会いたかったのはめぐみちゃんだった。だがその姿はない。喜びの中に葛藤があり、悲しみがあった。 奇跡のような対面から10年がたった。お父さんは4年前に87歳で亡くなった。自分があの時肌身で知ったのは「何も知らされていない」人がいる分断・閉鎖国家の一端だったかもしれない。 いつか、日朝両国の市民がわだかまりなく行き来できる日が来ることを願っている。そうなれば、めぐみちゃん親子も、他の拉致被害者家族もみんな、笑顔で再会できる。
私は、新約聖書のパウロの言葉をずっとかみしめている。 「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません」(ローマ人への手紙5章3~5節) 「苦難の中に希望を」。この言葉がウンギョンさんと私、そしてめぐみちゃんをつないでいる。