横田早紀江さんが明かす、孫娘ウンギョンさんとの「奇跡の対面」の舞台裏 「和やか」が一変、緊迫のやりとり…めぐみちゃんの「命の証し」かみしめたが、拉致知らせない「閉鎖国家」実感も
本当に信じられない光景だった。2014年3月、拉致被害者横田めぐみさんの父滋さん=2020年に死去=と母早紀江さん(88)夫妻は、モンゴルにいた。目の前には、ずっと会えなかっためぐみさんの娘、キム・ウンギョンさんがいる。めぐみさんの面影が強く残る顔を見て、やはり孫娘だと確信した。しかもその腕にはニコニコ笑う幼子もいた。胸の震えがとまらなかった。 【写真】北朝鮮は、ひそかに拉致被害者2人の生存情報を日本に伝えていた 今も「なかったことに」 政権にとって「不都合な事実」なのか
横田夫妻にとって「めぐみちゃんの『命の証し』が紡がれているのをかみしめた奇跡の旅」だった。 ただ、対面は終始和やかだったわけではなく、緊迫する場面もあった。何が起きていたのか。10年前の舞台裏を早紀江さんが明かしてくれた。(共同通信=三井潔、安祐輔) ▽鮮やかなピンクのチマ・チョゴリ姿で目の前に モンゴルの首都ウランバートルの大統領迎賓館に、私とお父さん(滋さん)が着いたのは3月10日夜で、翌朝ウンギョンさん一家と会った。応接室で待っていると、鮮やかなピンク色をした朝鮮の伝統衣装チマ・チョゴリに身を包んだウンギョンさんが、ご主人と共に入ってきた。2人は床にひざまずき「ようこそいらっしゃいました」「お会いしたかったです」と丁寧に頭を下げた。 めぐみちゃんの血を受け継いだ孫娘がすぐそこにいる。凜として聡明そうだった。お父さんの目は潤んでいた。 私はあふれる気持ちを止められず、正直な思いが口をついて出た。
「めぐみちゃんが突然消えただけでも信じられなかったのよ。北朝鮮に連れて行かれたのが分かるまで20年。捜し回っても駄目で気の狂うような毎日だったのよ。北朝鮮にいる事が分かっても、なぜそこにいるのか分からなくて…。びっくり仰天の日々を過ごしていたんです」 「めぐみちゃんに子供が生まれて、こんなに立派に育っている姿を見させてもらって本当にうれしいです」 ▽日本語できる細身のウンギョンさんの夫 ウンギョンさんの表情がほろりとなったように見えた。「会えて良かったです」。そう言いながら、2人でしっかり抱き合った。あのぬくもりは肌身に残っている。お父さんは言葉にならず、涙をポロポロ流していた。 ウンギョンさんのご主人は細身で控えめな人だった。金日成総合大のコンピューター学科で、ウンギョンさんの先輩だった、と聞いた。日本語も理解できるようだった。仲むつまじそうで何よりだった。 驚きはそれだけではなかった。この後、ウンギョンさん夫妻から娘のチオニちゃんを紹介された。当時10カ月。まん丸の顔でふくよかだった。愛らしい笑顔を絶やさず、よちよちと手押し車で走り回る。お土産として持参したおもちゃのピアノを手渡すと、楽しそうに弾いた。私とお父さんは「めぐみちゃんの小さい頃にそっくりね」と言い合って目を細めた。めぐみちゃんの血がつながっている重みをかみしめた。