ジョイマン高木「ネガティブなことも自分の燃料に」SNS上の争いに感じた心苦しさ
SNSは進む方向を示してくれるコンパス
――一発屋と呼ばれていた頃の高木さんにとってTwitterはどういう存在でしたか? 高木晋哉: その当時は仕事もなく本当に闇の中にいる気分でした。その闇の中を彷徨いながら、ひたすらTwitterに言葉を投げかけていました。そのツイートの反応を見ながら「あ、これがウケるんだ、これはダメなんだ」とか、今の僕と世間の声を照らし合わせていました。Twitterは、どこに向かって歩けばいいか分からなくなった僕に方向を示してくれる、コンパスみたいな存在だったと思います。表に出る機会が減ると、世間との距離感が分からなくなってきますから。Twitterを通して、世間との距離感を測っていたんだと思います。 特に、コロナ禍になる前と後では世間が求めているものが違うのを強く感じました。コロナ前は、ラップではなく真面目な感じのポエム系を多くツイートしていたんですけど、一言ラップの方が喜ばれるようになってきたんです。多分、みんな疲れていたんでしょうね。頻繁に流れてくる、嫌なニュースとは離れたものを求めてくれている感覚があったので、それ以降から、一言ラップ「全財産 クロワッサン」とかを投稿することが増えました。 ――高木さんがSNSをやる上で大切にしていることはありますか? 高木晋哉: バランスを取ることを大切にしています。SNSだけやっていると、その世界で起こっていることしか見えなくなって苦労する感覚があるからです。僕らの仕事で言うと、舞台にも立っているので、生のお客さんと触れ合うことも大事です。例えば、僕がTwitterでバズったとして、そのことが嬉しくて舞台上で話しても、全く知らないお客さんもいますからね。極論SNSで起きたことは、なんにも起きてないことというふうに考えています。 あとは、普段とは違う一面をTwitterで出すことで、気持ちの面でもバランスを取っていました。ポエムをツイートしていたのも、今までジョイマンのイメージがラップに偏りすぎていたので、“ラップの人”というイメージから離れたかったからです。その二面性を行き来している方が、心地良い感覚になるんです。一度ブレイクしたときに、仕事をし過ぎるのはよくないと学んだからですかね。仕事がない時期にも戻りたくないですけど、ブレイクして忙しい頃にはもっと戻りたくないと思っているので。何事もほどほどがいいと思います。 --- 高木晋哉 1980年生まれ。神奈川県出身。2003年にお笑いコンビ「ジョイマン」を結成。2008年、数多くのテレビ番組に出演し、一気に大ブレイクを果たすも、2010年頃にはブレイクも終わり、“一発屋芸人”にカテゴライズされるようになる。同年に始めたTwitterは、現在フォロワー数35万人を超える(2023年8月時点)。SNSでは自虐ネタをはじめ、地道にユーザーへ返信を続けることで話題となり、再びメディア露出を増やしていく。今年結成20周年を迎え、全国7都市を巡る「ジョイマンの全国サイン会ツアー2023 ありがとう 日本列島」を開催中。