新田恵利55歳「次は私たちの番」――親の介護をしながら感じた自身の老いと介護制度の問題
おニャン子クラブで芸能界デビューを果たし、グループ卒業後はタレント活動のほか文筆業にも挑戦し、2021年には母親の介護生活を綴った本を出版した新田恵利さん。今年から淑徳大学客員教授に就任するなど、介護に関する発信を続けている。自身も55歳を迎え、体の老いを感じるようになったと語る新田さんに、親の介護を通して感じた自身の老後、そして日本の介護システムについて思うことを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「物忘れもするし、集中力も落ちました」自身の老いを実感する日々
――新田さんはお母さまの介護を経験されたとうかがいました。 新田恵利: 2014年の秋に突然、自分の母親が病気になって、在宅で6年半ほど兄と協力して介護することになりました。私自身、それまで「介護って他人事」だと思っていたんです。でも、ある日突然誰かを介護する日が来るということを実感して、そのことを同世代の方を中心に伝えたく、いまは講演などで介護に関する発信を続けています。 ――介護する中で、ご自身の老後についても考えましたか? 新田恵利: そうですね。私も55歳になって、親の介護をしながら自分が老いていくことを少しずつ感じ始めたので「次は私たちの番だ」と考えるようになりました。我々夫婦には子どもはいないですが、友達のお子さんが大学生、社会人になったという話を聞くと、やはり老いを実感しますしね。 物忘れもするようになりましたし、集中力も落ちましたし、空間把握能力が落ちたのかいろいろなところにぶつかるようにもなりました(笑)。朝起きてどこも痛くない日がないですし、自分の老いを受け入れざるを得なくなっています。天候にも左右される体になりましたね。昔は母が「雨だから頭が痛い」と言っていた意味がわかりませんでしたが、近頃はそういうことだったのかと腑に落ちています。
“介護を放棄する人”ではなく“親の介護を引き受けた人”が税負担を強いられるという矛盾
――お母さまの介護を通して、日本の介護の現状に関して気づいたことや思ったことはありますか? 新田恵利: 私が思っていたよりは、制度やサービスなどは介護者に対してのフォローがあるなとは思います。ただ、政府が在宅介護の方向で舵を切っている割には、介護する家族へのフォローはゼロ。国によっては在宅介護をすることでお金をもらえたりする国もありますよね。そこまでしてほしいとは言わないですが、せめて介護される人と同じく300~500円で訪問医療マッサージを受けられるような、そういう介護する側へのフォローはほしいですね。 私の母親は年金がもらえない立場でした。財産もないし、無収入なので、私が「母の面倒を見ない」と言って母が生活保護を受ける選択をしていたら、国がちゃんとお金を出してくれるんです。しかし、「自分の親なので私が見ます」と言うと、税金も何もかもその負担が私たちに来る。矛盾というか、親孝行している上にさらに負担を重ねてくるというのは納得がいかない部分がありました。のどに何か引っかかったままのような思いでしたね。 ――介護を体験してみて日本の介護制度について、疑問に思ったことはありましたか? 新田恵利: 以前よりは法律が少し緩やかに変化したとニュースで拝見しましたが、日本の介護制度は被介護者に対してしか適用されないことが気になっています。 例えば、介護保険内でヘルパーさんに代わりに買い物に行ってもらう場合、被介護者が使うものしか買ってもらうことができません。でも、生活必需品についても家族が使うものなのか、被介護者が使うものなのか、線引きがすごく曖昧で難しいんです。うちの場合は兄と私の2人で母を介護していたし、主人もいたので買い物はできたのですが、1人で介護している方って買い物に行く時間もない。できれば家族が買うものも買ってきてほしいと思うのが当たり前だと思うんです。そんな中でいろいろなものが“介護者だけ”と線引きされてしまうと、介護する側が崩壊してしまいますよね。 また、ヘルパーさんは被介護者へのご飯は作っていいけれど、その家族のご飯は作ってはいけないというルールもあります。制度として仕方ないとは思いつつ、疑問ではありました。