ジョイマン高木「ネガティブなことも自分の燃料に」SNS上の争いに感じた心苦しさ
アメリカの起業家イーロン・マスク氏によるTwitterの買収から、およそ10か月が経過。7月下旬には、名称が「Twitter」から「X」に変更され、サービスを象徴していた青い鳥のアイコンも消えた。次々と仕様が変更されることに戸惑うユーザーが多い中、「Twitterがあったから今の僕がある」と語るのは、お笑いコンビ・ジョイマンの高木晋哉さん。10年以上、SNSでの繋がりに向き合い続け、「Twitterは進むべき方向を示してくれたコンパス」と話す高木さんに、SNSでのコミュニケーションのあり方や、継続することの大切さについて聞いた。(Yahoo!ニュース Voice)
Twitterはラップネタとの相性が良かった
――高木さんがTwitterを始めたのは、いつ頃でしょうか? 高木晋哉: 僕らは2003年にデビューをして、ブレイクしたのが2008年。でも、2010年頃には仕事が全くなくなってしまったんですが、ちょうどその頃にTwitterが世間でも浸透し始めていて、楽屋で他の芸人たちと話しているときに「ここにいるみんなで始めてみようか」と、みんなで一緒にやり始めました。最初は今の使い方と違って、告知を頑張っていたり、読み返してみるとちょっと恥ずかしいですね。 それでも、しばらくTwitterを使っていくと、このSNSは自分に合っているなと実感し始めました。その理由は、一言でつぶやけるラップネタとの相性が良かった点と、昔から自分の気持ちを言葉や文章で伝えるということが好きだったからだと思います。今、TwitterがXという名前に変わって話題ですが、改めてみんな本当にTwitterでのコミュニケーションが好きなんだなと感じます。 ――Twitter以外のSNSもやってみようと思ったことはありますか? 高木晋哉: ブログはやっていましたけど、Twitter以外のSNSはやっていません。Instagramは写真も一緒に投稿しないといけないじゃないですか。元々、写真を撮る習慣もなかったですし、やり始めても絶対続かないと思いますね。特に、一発屋芸人と呼ばれ出した頃は、あまり表には出たくないという心境になっていました。なので、顔を出さずに自分の言葉を発信できるTwitterはとても楽でした。ラップ以外にも、ポエムをつぶやいたりしていました。そのポエムを見た人から「これ、いいポエムだなって思ったら、ジョイマンかい!」などと言われることもよくありましたけど、そういうのも楽しかったですね。