MAZZELのRYUKIが語る、ダンスに人生を賭けた意味、「九州会」の友情
小学3年生のときに得た「あの感覚」
―RYUKIさんの中で大きな決断をしたあと、実際『MISSIONx2』に受かった瞬間は、どんな気持ちでした? RYUKI 自分に「やったなあ」って思いました。その帰り道では、『iCON Z』は落ちたけど、こうして自分が絶対に入りたいと思った会社にしっかりと入れたことを思うと、めっちゃ嬉しかったです。あのときに、いい意味で諦めたことが本当によかったなと思いました。 ―今日話を聞いていて、RYUKIさんのステージ上のパフォーマンスから伝わってくる人間性と、生き方や考え方が、しっかりとイコールなのだなと感じていて。 RYUKI めちゃくちゃ嬉しいです、それが一番嬉しいです。 ―最終審査で日髙さんからもらった「作られた夢物語より、俺たちが生きている現実のほうがたくさん夢があるなって本気で信じさせてくれるようなパフォーマンスと、それを生む心を持っている」という言葉は、どういうふうに受け止めてましたか? RYUKI 正直に言うと、そのときは嬉しすぎてあまり覚えてなかったんですけど(笑)、あとからちゃんと見返して思ったのは、自分の過去のこととか「ここしかないんだ」という気持ちをステージ上で絶対に伝えようと思っていて、それをちゃんと現実にできたことが嬉しかったです。 ―小3からずっと、「迷路」に迷い込んでも、なぜアーティストになることへの「情熱」を燃やし続けられたのだと思いますか? 「20 years」(MAZZELメンバーそれぞれの個性にフォーカスした企画「MAZZEL COLOR」内で、RYUKIが20歳を迎えたタイミングで発表したソロ曲)でいえば“逃げたいや とかは言わない 無理でもダイブ”を続けられるRYUKIさんの姿勢が本当にすごいなと。 RYUKI 小学3年生のときに得た「あの感覚」がいつまでも抜けなくて。ダンスをやめようと考えたこともいっぱいあるんですけど、この道以外、自分にはなかったというか。これがなかったら、めっちゃ苦しい生活をしていただろうなという想いが自分の中であったので、諦めなかったのだと思います。 ―ダンスがなかったら、どういう苦しさに直面していたと思っているんですか? RYUKI 人より頭がめっちゃいいわけでもないし。勉強も、体育祭とかの思い出も、全部捨ててダンスにベットしたからこそ、ここで諦めたら今までのすべてが意味なかったことになると思ってました。 ―『iCON Z』から誕生したLIL LEAGUEとも、それこそ2023年の『Rolling Stone Japan LIVE』で共演していただいていますが、彼らと同じ場に立つとどんな気持ちが湧いてきますか? RYUKI ステージに一緒に立てることが本当に嬉しいです。自分が同じステージに立てなかった可能性だってあったし。グラフで表したら彼らのことが上に見えていたんですけど、こうして横並びで対話できたことが嬉しかったです。 ―福岡からひとりで飛行機に乗った帰り道のことを思うと……。 RYUKI めっちゃエモいです。多分、こういう人って世の中にたくさんいると思うんです。自分は、「無理」と思うことが正解ではないと考えるタイプで。音楽以外の職業でも、やってみれば可能性はあるかもしれないし、たとえば会社の面接に落ちても他で受かる可能性だってあるし。そういうことを伝えていけたらなと思います。