MAZZELのRYUKIが語る、ダンスに人生を賭けた意味、「九州会」の友情
オーディションの帰り道
―ここまでMAZZELに入るまでの日々のポジティブな面をたくさん話してくれましたけど、当然「MAZE=迷路」も避けては通れなかったと思うんです。 RYUKI 悔しい想いはいっぱいしましたね。EXPG内で組んだチームで活動していて、もう一個上の「特待生」「EXPG Lab」になるためのオーディションを受けたりしていたんですけど、たとえばあとからストリートダンスから入ってきた子が自分より先に特待生になったり。そのときは悔しいというよりも、びっくりしたというか。「人生の中で、こういうこともあるんだ」みたいな。 ―人生とは、自分が最大限努力しているつもりでも、必ずしも思い通りに報われるわけではないのかもしれないと。 RYUKI 若いときからそういったことを経験できたからよかったなって、今は思います。一番深い「迷路」でいうと、LDHのオーディション(『iCON Z ~Dreams For Children~』)の結果がよくなかったとき。ずっと仲良かったメンバーとか、家に泊まってそのまま一緒にレッスンに行ってた子が受かって、自分は受からなかったので、「みんなが行っちゃって、自分だけ何をしよう」ということを当時はすごく思いました。東京から福岡に帰ってきてからは受かった子たちとスケジュールも全然違うものになってしまったので、「これが現実か」と。当時は「もうアーティストになれない、どうしよう」「もう何もできないかもな」という感覚がありました。 ―東京でオーディションを受けて、友達は受かってるのに、自分だけ福岡に帰らなきゃいけないという状況……めちゃくちゃつらいですね。 RYUKI そうなんです。だから一番つらかったのは、東京のテレビ局でオーディションがあって、受かったメンバーは残って、落ちたメンバーは帰る、というとき。当時の帰り道は、もうキツすぎて、何も覚えてないですね。 ―今振り返ると、オーディションに受からなかった当時の自分には何が足りてなかったのだと思いますか? それとも、ただそこには合わなかった、という感覚? RYUKI 当時は、とにかく全部「ぶつかれ」みたいな感じでいってて、それがパフォーマンスにも出すぎていたと思います。勢いばかりで「抜く」ということを知らなかった。とりあえず「全部出しきる」みたいな。だから、他のみんなには余裕感があったと思うんですけど、自分のパフォーマンスにはそれがなくて。心のモチベーション的にも、とりあえず「受かるぞ」みたいな感じで、それがパフォーマンスにも出すぎちゃっていたと思います。当時の映像を見ると「全部出す」ということしか考えなくて、「今だったらこんな感じに見せないだろうな」みたいな動きもやってましたね。 ―『MISSIONx2』で「ステージでずっと笑顔だった」と日髙さん(SKY-HI)に言われたし、RYUKIさんはMAZZELの「情熱」を象徴する人だとも思うんですけど、今日ここまで話を聞いてても……話しているトーンが全部すごくポジティブですよね。 RYUKI そうですね。楽しい空間が一番好きですし、自分的にはずっとポジティブ人間です。でもやっぱり『iCON Z』に落ちて、一回どん底を経験したことが大きかったと思います。あそこで立ち上がれたからこそ、「諦めなかったら大丈夫」ということを経験できました。ポジティブを繕うとしてるわけではなくて、あの経験があったからポジティブな人になれたのかなと思います。