MAZZELのRYUKIが語る、ダンスに人生を賭けた意味、「九州会」の友情
『THE FIRST』で見つけた新たな希望
―「どん底」を経験した約半年後に、EXPGを辞められていますよね。8年もいた場所を卒業するのは相当な決断だったと思うのですが……。 RYUKI そこは本当に、人生で一番の決断だったと思います。当時は「育成候補生」として契約していたので、たとえばまたオーディションがあればもしかしたら受かるかもしれないし、レッスンもいっぱい受けられてイベントもいっぱい出られるような、いい環境でした。でも自分の中で「いや、ここじゃない」という感覚があって。そういうときに『THE FIRST』(BE:FIRSTを輩出したオーディション)を見て、「待てよ」みたいな。自分がやりたい音楽性とか、社長の気持ちや言葉も含め、「こっちかも」と感じたことが決断した理由です。 ―音楽性は、どういうところに惹かれました? RYUKI 社長がラッパーっていうのもあるし、Coreくん(Novel Core)もいたり、『THE FIRST』の曲にもラップパートがあったりして、とにかくラップに熱いなと。こんなにもラップを見せてくれる会社はないなと思いました。当時からAK-69さん、BAD HOPさん、¥ellow Bucksさんとか、日本のヒップホップをよく聴いていて、社長のすごさももちろん知っていたので。 ―日髙さんの気持ちや言葉というのは、具体的に何がRYUKIさんに刺さったのでしょう? RYUKI 『THE FIRST』は、一回どん底を見たようなバックボーンのある人たちが受けている印象があって。それを社長が救っていく物語にも見えたので、「なんだこの素敵な社長は」と思ったのが最初の感想。「そういう人を支えてあげたい」みたいなスタンスの会社って、なかなかないなって。しかもクリエイティブもかっこいいし、音楽にも熱くて。やめる決断をしたのは『THE FIRST』をやっているときで、社長が2つ目のボーイズグループを作ることもオーディションをやることも何も言ってない状況だったのに、「自分は絶対にあそこに入るんだ」と思って。 ―入れる保証も何もないときに……! RYUKI ないけど、自分のタイプ的に、感覚的に「これ」と思ったらそこに突き進んじゃうので。だから他の会社も見てなかったです。あそこの決断が間違ってなくてよかったなと、今は思います。 ―MANATOさん(BE:FIRST)とも、昔から共演していたんですよね? RYUKI そうですね。EXPG時代、同じイベントや発表会に出て、マナティ(MANATO)が歌って自分がうしろで踊ったことが何回もありました。帰り道も同じ方向だったので、2人で帰ったりもしてました。だから『THE FIRST』を受ける前のマナティのいろんな気持ちも見ていたんですよね。 ―だからこそ、『THE FIRST』がどん底から救っていく物語に見えたんですね。 RYUKI それを近いところで感じました。今もずっと一緒なことにびっくりしてます。僕も20歳になったので、最近「九州会」といって、RAN兄も入れて、九州のメンバーで飲みにいきました。 ―いいですね。好きなお酒は何ですか? RYUKI ハイボール、カルピスサワーです!