【図解】沖縄県内の米軍機墜落、49年で49回 復帰後、日本人犠牲者ゼロも危険と隣り合わせ
民間地に落ちたケース
県の集計によると米軍機の墜落事故計49件のうち、30件は海上に落ちている。残り19件も、その多くが米軍基地内だが、民間地に墜落する事案もある。記憶に残るケースとしては、2004年の沖縄国際大学への墜落と、事故が多いとの前評判から沖縄配備に県民の多くが反対していた輸送機オスプレイが2016年に名護市の沿岸に堕ちた件が挙げられる。 2004年8月の米軍ヘリ沖国大事故では、大学構内での発生にもかかわらず、米軍が現場を“封鎖”し、大学関係者はおろか警察も立ち入ることを認めなかった。日本側の捜査当局が現場検証に着手できたのは、機体が持ち去られた後だった。基地の外であっても事が起これば米軍が一方的に事故現場を管理できる実態が浮き彫りになった。 なぜ日本の捜査機関は現場にすぐに入れなかったのか。 日米地位協定の運用上、日本側が米軍財産の捜索や差し押さえをする場合には米軍の同意が必要という取り決めがある。米軍が認めない以上は、日本の捜査当局が事故機(米軍財産)には指一本触れることができない。加えて日米間には、米側が日本側の事前の承認なくして私有財産に立ち入ることができるという規定がある。これらの原則は沖国大事故から16年が経つ現在も変わることなく引き継がれている。 オスプレイの事案が起きたのは2016年12月。沖縄本島北部沖での空中給油訓練中にトラブルに見舞われ、名護市の沿岸の浅瀬で大破した。機体は真っ二つに折れ、海辺に漂った残骸が事故の激しさを物語ったが、日本政府は操縦士のコントロール下にあったとして、「墜落」ではなく「不時着水」と強調。大手マスコミもこれに基づいて「大破事故」などと表現し、「墜落」という言葉を避けて報じた。沖縄県はこれを「墜落」事故として扱っている。
「犠牲者出ないと…」
以前、沖縄で米軍機の事故が起こった際、日本政府関係者が「犠牲者がなかったことは不幸中の幸い。出ていたら取り返しがつかない事態になるし、想像したくない」と語ったことがある。一方で、県庁の幹部はこう漏らした。「政府の対応はいつも米側に原因究明と再発防止を求めるだけという、壊れたテープレコーダーのよう。県民の死者が出ないと深刻さは伝わらないのだろうか」 別の元県幹部は「犠牲者が出ないと事態は変わらないのか」と天を仰いだ。