【Q&A】太平洋戦争とは?
今年は日本が米軍をはじめとする連合軍と戦った太平洋戦争に敗れて75年です。新型コロナウイルスの影響で、例年各地で開かれる慰霊祭や追悼式などは中止や規模の縮小を余儀なくされています。一方で、戦争を体験した世代が減る中、後世への記憶の伝承が困難になりつつあります。そもそも太平洋戦争とはどう始まり、どのような経緯を経て敗戦に至ったのでしょうか? 【図解】どれだけ知っていますか? ビジュアルで知る「太平洋戦争とは」
Q:いつ開戦したの?
開戦したのは1941年12月8日です。日本軍が米・ハワイの真珠湾と英領マレー半島を奇襲しました。これをきっかけとして米国、英国、オランダ、オーストラリアなどの「連合国」と日本との間で戦われた戦争が「太平洋戦争」と呼ばれています。 近年は戦闘が行われた地域をより具体的に示すために「アジア太平洋戦争」と呼ぶこともあります。
Q:どのような場所で戦いが行われたの?
日本軍は、開戦から半年で東南アジアのほぼ全域と太平洋の広い地域を勢力下に置きました。しかし、その後の太平洋上のミッドウェー海戦(42年6月)では空母4隻を失う大敗を喫したほか、ソロモン諸島のガダルカナル島を舞台に行われたガダルカナルの戦い(42年8月~43年2月)などで敗れ、劣勢になっていきます。 立て続けに戦いに敗れたことを受け、日本軍は、守るべき支配地域を「絶対国防圏」と位置付けていましたが、その地域も縮小を余儀なくされました。 インド北東部・インパールにあった英軍拠点を攻めようとしたインパール作戦(44年3~7月)でも、大量の兵力を失いました。
Q:日本への爆撃はいつから激しくなったの?
米軍は、日本軍から奪取した拠点から日本本土に向けてB29などの爆撃機を発進できるようになります。44年6月には中国四川省成都から飛んだ爆撃機により、軍事工場だった八幡製鉄所(福岡・北九州市)とその周辺地域を爆撃しました。 米軍は44年8月までにマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムなども制圧し、日本本土のほぼ全てのエリアが射程圏内となりました。当初は日本軍の基地や軍事工場などが主な標的でしたが、45年3月9日深夜から10日未明に東京の下町が集中的に攻撃を受けた東京大空襲では、街を焼き尽くす焼夷弾を投下され約10万人が犠牲となりました。以降、一般市民を対象とした無差別爆撃が激しさを増し、大阪、名古屋、仙台を始め全国各地が 戦禍に巻き込まれていきます。