【図解】沖縄県内の米軍機墜落、49年で49回 復帰後、日本人犠牲者ゼロも危険と隣り合わせ
沖縄県が米国統治下から日本に復帰して49年。その間に海上を含む県内で発生した米軍機による墜落事故は49件で、1年間に1回のペースだ。2004年8月13日には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する沖縄国際大学に同飛行場に所属するヘリコプターが墜落・炎上した。全国的にもマスコミ上などで取り上げられたが、その後も墜落事故は続いている。沖縄県が公開している本土復帰(1972年)以降の記録を基に米軍機事故を振り返りたい。
沖縄は住民の4人に1人が犠牲になったとされる沖縄戦(1945年3~6月)の後、27年間に渡って米軍統治下に置かれた。極東最大の米空軍拠点「嘉手納基地」をはじめ、米国にとっては安全保障の要となった沖縄では、こうした墜落事故は幾度となく発生してきた。 沖縄の住民も巻き込まれた凄惨な事故として記憶されているのは、1959年6月30日、現在のうるま市石川の宮森小学校であったジェット機墜落事故だ。授業中の校舎に、嘉手納基地を離陸した米軍ジェット機が突っ込み、後に後遺症で亡くなった1人を含めて児童ら18人が死亡した。
復帰後も続く墜落
こうした米軍機による墜落事故は、どれくらい起こってきたのだろうか。 沖縄県がまとめている1972年の復帰以降の統計によると、墜落事故はこの49年で49件発生している。実に1年に1度のペースで、沖縄県内のどこかで米軍機が落ちていることになる。事故により、乗組員ら米軍関係者の死傷者は出ているが、日本側の犠牲者は出ていない。
機種別に見ると、「固定翼機」が31件、「ヘリコプター等」が18件。年代別でみると、1970年代に12件、80年代に15件、90年代に12件、2000年代に4件、10年代に6件となっている。
米軍機事故は墜落以外にも、警告灯の点灯などに伴う不時着(米軍や日本政府は「予防着陸」と説明することが多い)や空中接触、部品落下、着陸失敗、火炎噴射、爆弾投下失敗などがある。これらを含めた米軍機関連事故は2020年末時点で826件に上る。