「女性として生きたい」トランスジェンダー「見た目」問題の葛藤 #性のギモン
生まれた時に割り当てられた性別と、自身で認識する性が一致していない「トランスジェンダー」。トイレなど男女別施設を利用する際、社会から厳しい視線を受けることもある。「見た目」で判断される機会が多い当事者たちはどんな葛藤を抱いているのか。周囲はどう受け止めていけばよいのか。課題に向き合う当事者、医師、法律家を取材した。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「自分はGIDなんじゃないか」45歳で性別変更
福岡市に住む黒部美咲さん(54)には、10年ほど前まで時々人知れぬ気持ちを解放させる習慣があった。家から女性の服を持参して着替え、女性の格好をして街を歩く。すると「本当の自分としていられる気がした」のだ。今では当たり前のことだが、この時はやや勇気のいる行動でもあった。当時の黒部さんは、身体的にも法的にも男性だったからだ。 「年に7回くらいの頻度で、女の人の格好をして街を歩く。そうして、本当は本来の自分である『女性』として生きたいという気持ちを抑えていました。ただ、そんな自分は一体何者なのかは、よくわからずにいたんです」 男性として生まれ、性別に違和感を初めて覚えたのは6歳の頃。中学2年生の時、「セーラー服の制服が欲しい」と母親に伝えた。だが、母子家庭で生活に余裕はなく、母親からは「ごめんね。うちはお金がないから買えないんだ」と金銭的な理由を名目にお茶を濁された。
自分の性別に違和感を持ちながらも、26歳の時に女性と結婚。事前に自分のことをカミングアウトし、ある程度、了解を得てはいた。子どもも授かった。 40代になって、テレビのニュースで初めて「性同一性障害」(GID:Gender Identity Disorder)という言葉を聞いた。性別の自己認識と身体の性が一致しない状態のことで、「もしかして、自分はこれなんじゃないかな」と思い始めた。 悶々とGIDについて考えながら、道で女性とすれ違った時、いたたまれない気持ちになった。「私も女性なのに、なぜこうして普通に女性として街を歩くことができないんだろうと。そう思うと、とめどなく涙が出てきて止まらなくなっちゃったんです」。一時はもう死ぬしかないとまで思い詰めたという。 GIDを知ってから1カ月ほど葛藤が続いたが、意を決して家族に「これからはひとりの女性として、普通に暮らしたい」と打ち明けた。 「妻も本当に女性として生きたいと言うとは思っていなかったようで、心底驚いていたし、10歳だった息子も大泣きしていた。家族には本当に、すごく辛い思いをさせてしまったと思います」 45歳の時にホルモン治療を開始。同年に性別適合手術を受けた。ただ、家族の間に溝も生まれ、手術の3年後に離婚。子どもが成人した今年、戸籍上の性別も、女性に変えた。