「あの子を殺して、自分も一緒に…」精神疾患がある子の親が抱える「深すぎる苦悩」とは
両親の深い愛情
ところで、先ほど紹介した、精神疾患を抱え大学を退学した洋子さんは、支援を受け通所型の施設に通い始め、仲間との交流を通じて自暴自棄を脱することができました。 少しだけ周囲が見えるようになってきたとき、彼女はずっと気になっていたことを両親に謝ろうと思ったそうです。洋子さんが謝ろうと思ったのは、「将来仕事をばりばりして両親を楽にさせたい,恩返ししたい」という思いを実現できそうにない,ということでした。いつものように3人で夕食をとっているとき、洋子さんはこう言いました。 「お父さん,お母さんごめんね。私が病気になってしまったから、2人に幸せになってもらうことができなくて。いっぱいお世話になったのに、何の恩返しもできなくてごめんね」 すると寡黙な父親が、洋子さんの言葉を噛みしめるように聞いた後、穏やかにこう応えたのです。 「親にとって子どもは宝だ。洋子が子どものころは、喜ぶ顔を見たくて、誕生日のプレゼントを買うために夜勤して、お母さんと一緒に買物に行ったものだ。楽しかったなあ」 「今こうやって一緒に食事ができているだけでも、そのときと変わらないくらい幸せだよ。お父さんが嬉しいのは、洋子が心の底から笑っている顔を見ること、洋子が幸せと感じている顔を見ることなんだよ。親って、子どもがいくつになっても子どもの幸せが一番なんだ。仕事だけが人生じゃない。だからお父さんより、絶対に先に死んだらだめだ」 そう言って父親は、ゆっくりと席を立ちました。その目には、光るものがありました。
孤独は人が癒す。生活への不安を癒すのは「社会保障制度」
両親の愛情が痛いほど伝わってきて、洋子さんは,言葉になりませんでした。かつて自殺未遂をしたとき、父親が目にいっぱい涙をためていた理由が実感できました。そしてあらためて、強く生きていこうと決意できたそうです。 大事な大事な息子・娘を本気で「殺したい」と思う家族などいません。孤立と不安は、死を意識するまでに家族を追い詰めてしまいます。しかし、孤立も不安も、人によって癒されていくものであると、洋子さんのエピソードは教えてくれます。 ですがここで、なお忘れてはいけないことがあります。「生活の資をどう得るか」という、見過ごせない不安要因はまだ残ったままなのです。孤立が解消されても、「子どもが将来もらえるお金」をどう確保するかという課題は、しぶとく家族を悩ませ続けます。 子どもの命を奪うか否かまで追いつめられた家族の脳裏にも、洋子さんの父母のなかにも、間違いなく「親なき後」の生活に対する懸念はあったでしょう。もしかしたら読者のなかにも、今まさにそのような悩みを抱えている方がおられるかもしれません。 そんな悩みを軽くするうえで頼りになるのが、我が国の社会保障制度や経済的支援の制度です。後編記事では「親なき後」への備えのために設けられた制度でありながら、知名度は意外と低い「障害者扶養共済制度(しょうがい共済)」を紹介します。 *この記事のエピソードは以下の文献から引用しました。 青木聖久『第3版 精神保健福祉士の魅力と可能性 精神障碍者と共に歩んできた実践を通して』(やどかり出版、2015年)106-108、160-163ページ 後編〈「親なき後」が心配なら要チェック! 障害がある子にお金を残せる「しょうがい共済」とはどんな制度か〉へ続く。
青木 聖久(日本福祉大学教授、精神保健福祉士)