「私を捨てた母をさがして」20年ぶり再会に涙した母娘 人間模様が交差するバラック飲み屋街「塙山キャバレー」 #ydocs
SNS全盛の現在も塙山キャバレーに人が集まるわけ
「京子」ママの息子の死。「ラブ」ママの娘との邂逅と愛する内縁の夫との死別。ほかにも、塙山キャバレーを取材中、数多くの人生の岐路ともいうべき場面に遭遇した。 笑いながら生涯最後の酒を飲んだステージ4のがん患者。コロナ禍で全店舗1カ月半の長期休業中に孤独死した常連客。1億円もの借金を背負い行方知れずになった元夫と25年ぶりに再会したママ――。 取材の間だけでも、挙げればきりがないほどの人生の痛切な場面が、この場所を舞台に繰り広げられてきた。 実は、塙山キャバレーのママたちは全員独身だ。 明るく振る舞っているように見えても、一筋縄ではいかない人生を歩んできており、その心に孤独という一面を抱えている。そして、客の多くも同じように深い孤独を抱えた人たちだ。そんな孤独を抱えた者同士が、笑いも怒りも悲しみも喜びも分け合えるのが塙山キャバレーだ。 人見知りで滅多に他人と話をしない工場勤務の29歳男性は、「どうしてか塙山キャバレーでは知らない人と話せるんですよね…」と語る。 令和の時代、「本音が言えるのは匿名のSNSだけ」という人も少なくない。 取材中、ママと泣きながら大喧嘩をしたこともあるが、カメラを抱えた外の人間に対し本気でぶつかり返してくれたことに心地よさを感じた。赤の他人同士であっても、直接、本音を言い合える場を本当はみんな求めているのかも知れない。 この飲み屋街が今なお、若者から年配の方まで世代を超えて多くの酔客を集め続けているのは、ここが過去の遺産ではなく、ノスタルジーで語られる場所でもなく、時代がどう変わっても、人が生きるために必要とする「人とつながれる場所」だからこそではないだろうか。
東日本大震災の時も、そして今も
今から13年前の東日本大震災。岩手、宮城、福島の東北3県に注目が集まる中、茨城県は「忘れられた被災地」と言われた。 しかし、日立市も甚大な被害を受けていた。揺れは震度6強で、沿岸部一帯を4mを超す津波が襲った。家屋の被害は1万8000軒以上に上り、市内の水道、ガス、電気などのライフラインもストップ。夜になると信号も家々の照明も消え、街は「漆黒の闇」に包まれた。 しかし、そんな中にあっても、このトタン屋根の街だけは、ぼんやりとロウソクの炎を灯し、営業を続けていた。当時並んでいた24軒は一切壊れることなく、窓ガラス一枚さえ割れなかった。おまけにプロパンガスなので、火も通常通り使えたからだという。 ママたちは今でもこの時のことを振り返り不思議がる。 店舗を修理したことのある大工は「この建物は基礎が打ってなくて、箱が地面の上に乗っかってるだけなんだ。そんで建物と地面が固定されてねえもんだから、地面が揺れても、建物は大して揺れなかったんでねえかな」と話していた。にわかには信じられないような説ではあったが、この話を聞いた時、建物の不屈と、多くの人生を優しく受け入れてきたママたちの不屈とが重なってきて仕方がなかった。 そして時代が昭和から平成、そして令和になった今も、1年365日、盆も正月も休むことなく、バラックに明かりは灯り続けている。 【取材・記事:山本草介】 この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。 #Yahooニュースドキュメンタリー #令和アーカイブス
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