59歳で逝去した「庶民の英雄」“トト”スキラッチに伊紙が感謝!「イタリア90での魔法の夜の象徴であり、我々の夢を背負ってくれた」
そして99年に現役としてのキャリアに幕を閉じた彼は、故郷に戻ってサッカーアカデミーを運営した他、テレビの世界でコメンテーター、タレント、俳優と多彩な活躍を見せ、選手時代と変わらぬ人気を博した。 彼が最も輝いたのは、やはりイタリア国民が「魔法の夜」を過ごした90年W杯だ。その代表キャリアは1990~1991年の16試合だけで、ゴールはわずか7と、カルチョの歴史を彩ったレジェンドとしてはやや寂しい数字ではあるが、そのうちの6点がW杯で記録されたということからも、まさにシンデレラボーイという呼び名が相応しかった。 そして、その偉大な瞬間をともに過ごしたアズーリのチームメイトたちは、トトの訃報に際して追悼のメッセージを贈っている。その中で前線の名コンビとして息の合ったプレーを披露したロベルト・バッジョは、自身のSNSに「チャオ、親愛なる友よ。今回もまた、君は私を驚かせてくれた。共に過ごしたイタリア90の魔法の夜は、永遠に私の心に刻まれるだろう。イタリアの兄弟よ、永遠に」と投稿している。 ちなみにスキラッチが以前、バッジョについて「少なくとも我々の時代では、彼はイタリア最高の選手だった。昔ながらの『10番』だ。我々は理想的なコンビだった」と称賛していたが、同時に「オーストリア戦で私のゴールをお膳立てしてくれたヴィアッリ(昨年1月にすい臓がんで死去)のことも忘れない。彼は我々のリーダーで、明るくチームの雰囲気をまとめてくれた」と付け加えている。イタリアは2年続けてレジェンドストライカーを失うこととなった。 また、W杯でスキラッチにポジションを奪われることとなったカルネバーレは、「彼は当時、自分が代表チームにいること自体が不釣り合いだと感じていたが、W杯で不動の地位を勝ち取ってみせた。コベルチャーノ(代表のトレーニング施設)では、彼はその大きな目を見開いて、いつも私を笑わせてくれた。私、彼、バッジョ、ヴィアッリとともに、素晴らしい時を過ごせた。彼のことをとても愛していた」と思い出を語り、逝去する10日前にも連絡を取り合っていたことを明かしている。 世界中のメディアがスキラッチの死を報じているが、英国公共放送『BBC』は「スキラッチのサッカー人生は、1990年夏のイタリアでのあの短い黄金期によって端的に表現されるが、その物語は、それを体験した全ての人の記憶に永遠に焼き付いていることだろう」と記述。そして、『Gazzetta dello Sport』紙は以下のように、ヒーローへの敬意と感謝の意を示した。 「庶民の英雄――。彼は天才ではなかったし、ディエゴ・マラドーナやバッジョのような、当時の神々が生み出した芸術作品のようなプレーはしていない。しかし、トトは少数の者しか成し遂げられないことに成功した。あのイタリア90の夏は、再現不可能なものである。それは、勝利によって聖なるものとされるのではなく、甘い記憶として心に残っているがゆえに、特別なものである。その象徴がトトであり、彼は我々の夢を背負ってくれた。そのことに、我々は永遠に感謝するだろう」 構成●THE DIGEST編集部
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