「生まれてくるべきじゃなかった」64年ぶりに外の世界に出た無期懲役囚、不意に流した涙
2年前、ある刑務所の門から一人の無期懲役囚が姿を現した。服役期間は国内最長級の64年。「人の情けに生かされてきました」。塀の外で平穏な生活を送る今、獄中では決して抱くことがなかった感情に向き合っている。そして、現代を生きる若者への思いを口にした。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介) 【動画】64年ぶりの塀の外
●半世紀ぶりの「外の世界」、道行く子にも感動
「やっぱり子どもの可愛らしさ、犬の可愛らしさ、女性の華やかさ。しばらく見てないとね、あぁこんな感じかぁって」 稲村季夫(いなむら・すえお)さん、91歳。 2022年6月、熊本刑務所から仮釈放され、約64年ぶりに外の世界に戻ってきた。 現在は入所する施設での掃除や植物への水やりが日課で、穏やかな日々を送る。
「外ですれ違う子どもが『おはようございます』って言ってくれると、自分の存在が認められたようでうれしい」。 何も知らずに話を聞くと好々爺のように見えるが、彼は2人の命を奪った無期懲役囚だ。 法務省が2023年12月に公表した資料によると、2022年に仮釈放を許可された無期懲役囚6人のうち、判断時の在所期間が63年を超えていたのが3人いる。稲村さんはそのうちの一人とみられ、過去のデータを見るとこの3人を上回る長さは見当たらない。
●東京タワーが完成した年に最初の殺人
一体、過去に何があったのか。 さかのぼること66年前。1958(昭和33)年5月19日午前8時過ぎ、稲村さんは知り合いに誘われて働き始めた与野町(現・さいたま市)の工場で、上司の長田進さん(当時46歳)を刃渡り26センチの刺身包丁で突き刺すなどして殺害した。 さいたま地検に閲覧請求した当時の刑事記録によると、「3カ月くらい経てば本採用にする」という約束が守られなかったことに不満を募らせ復讐を決意したという。 1958年は東京タワーが完成した年だ。プロ野球巨人の長嶋茂雄がデビューし新人王を獲得した。 日本が高度経済成長に突入していたそんな時、稲村さんは浦和地裁(現・さいたま地裁)から無期懲役を言い渡された。25歳の時だった。 しかし、凶行はこれで終わらなかった。