「生まれてくるべきじゃなかった」64年ぶりに外の世界に出た無期懲役囚、不意に流した涙
●刑務所での出会い「このオヤジにかけよう」
シャバに戻ることを諦めていた人間を変えたのは、ある刑務官の一言だった。 「熊本刑務所の病舎にいた時、責任者にホリさんという方がいて、私が運動している姿を見て『この男は使えるな』と思ったんでしょうね。『俺が今度担当することになった工場に降りてこい。悪いようにせんから』と言われたんです」 「降りてこい」とは、その刑務官が担当する工場で刑務作業をしてほしいという意味だ。 「その時、ホリさんに報いないといかんなと思いました。そこまで言われたからにはこのオヤジにかけてみようと。それが出所につながるからと考えたわけじゃなくて、どうせ刑務所にいるならオヤジのためにやってやるってね」。 以来、反抗的な態度を改めた。 工場に移ってからはホリさんの指示に忠実に従った。15分の入浴時間で身体に障がいのある受刑者の入浴を手伝った後に自分の体を洗い、最後に全ての洗面器やシャワーの位置を整えて浴室を出ることを6年ほど続けたという。 「私を試すためだったと思うが、途端にそういう重労働を押し付けられたんで最初はちょっと不満だったけど、やっているうちに偉い人から『ご苦労さん』『稲村、頑張ってるな』と声をかけられるようになりました。そうした発端をホリさんが作ってくれた」 なぜ仮釈放が許されたのかは稲村さん自身にも知らされていないが、ホリさんとの出会いが大きなきっかけになったと振り返る。
●64年たって初めて感じた罪深さ
稲村さんが話をしている最中、不意に言葉をつまらせ目に涙を浮かべる瞬間があった。 「今は自分が好きな甘いものを自由に買って食べられる。『あぁおいしいな』と思った時、私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。中にいた時は考えたことなかった」 塀の中で64年もの年月を過ごし、社会に戻ってきて初めて感じる心の痛みがあったという。 「人の気持ちというもの、人間が生きる辛さ、弱さを全然考えていなかった。今になってそれが出てきている」 自分に言い聞かせるように時折うなずきながらこう続けた。 「どうしたら償えるか。償いとは言えるが、できない。まず被害者のことを考えなきゃいかん。どれだけの人を泣かしてきたかを」