出世のために最高裁の顔色をうかがう…実は日本以外にはほとんどない裁判官の「ヒエラルキー的キャリアシステム」
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】「日本的」右派も「日本的」左派も共有する 「裁判官幻想」 発売間もないうちに重版が決まった話題の書『現代日本人の法意識』(講談社現代新書)では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈日本人の「裁判嫌い」は本当?…日本は欧米に比べて「人口比の民事訴訟数」が少ないのはなぜなのか?〉にひきつづき、裁判・裁判官の本質と役割、それらのはらむ矛盾についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。 国家権力の中でも、司法は、「権力をチェックする権力」という、特殊な、また矛盾を内包した権力であることから、それをめぐって、さまざまな幻想、神話、神秘化(ミスティフィケーション)が生じやすい。そして、日本という風土においては、人々の司法イメージ・法意識と近代的なそれとの乖離という事情もあって、その傾向が特に強く表れやすい。 こうした幻想は、司法に関するリアルな認識、正確な分析を妨げるものであり、その意味で有害なのだが、わかりやすくて記憶に残りやすいため、かたちを変えて、何度でも繰り返し再生してくる。したがって、司法について考える際には、常にその存在を意識にとどめておく必要がある。裁判と裁判官の本質や役割、また日本におけるその問題点(より広くいえば司法の問題点)について考えを深めてゆくために必要、適切なヴィジョン、パースペクティヴの確立のためには、こうした幻想についての正確な認識が、必要でもあり有益でもあるのだ。 そのために、以下、まず裁判・裁判官の本質と役割、それらのはらむ矛盾について、法社会学的・法哲学的な観点をも含めつつ実証的に概観し、次に、裁判と裁判官をめぐる儀礼・幻想・神話、ことにその日本的な形態について考察する。さらに、日本の司法ジャーナリズムの問題と上記の幻想との関係について述べる。最後に、一つのケーススタディーとして、裁判官弾劾で罷免された岡口基一元判事の過去の言動・言説につき、こうした幻想に対するアンチテーゼとしての意味をもちえたのかを考えてみたい。