出世のために最高裁の顔色をうかがう…実は日本以外にはほとんどない裁判官の「ヒエラルキー的キャリアシステム」
裁判と裁判官の役割
まず、現代社会における司法、裁判の役割について考えてみよう。 (1) 割合として最も大きくかつ日常的なものである民事訴訟は、当事者間の権利関係を確定させ、紛争を最終的に解決するものである。「自力救済禁止」の反面として、国家により、民事保全、訴訟、民事執行等の一連のシステムが設けられている。 (2) 刑事訴訟は、国家の刑罰権の発動であり、権力作用としての側面が(1)よりも強い。そして、その分、より強力な幻想に縛られてもいる。 (3) 現代社会においては、「民事訴訟」と区別される手続である「非訟」も重要である。これは、権利関係の存否確定をもっぱらの目的とする「民事訴訟」とは異なり、私人間の生活関係に国家が介入し適切な調整を行うことを目的とするものだ。家裁家事事件の主たる対象は非訟的事項である。これには、争訟性の高いもの(たとえば遺産分割事件等)と、争訟性の低いもの(たとえば成年後見申立事件等)とがある。 (4) 司法の「権力(より広くいえばシステム)チェック機構」としての側面、また、「新たな社会的価値の創出」にかかわる側面は、行政訴訟、いわゆる憲法訴訟、国賠訴訟、刑事訴訟等で強く表れるが、広くみれば、(1)から(3)のすべてがこの要素を含みうる。 以上につき、裁判官の果たすべき役割という観点から簡潔にまとめるなら、次の二つの事柄が重要といえよう。 (A)個々の紛争や事件が社会の中でもつ意味をよく理解した上で的確な判断を行うこと、すなわち「ささやかな正義の実現」を図ること。 (B)広い意味における「権力チェック機構」としてほかの権力のゆきすぎや問題を是正し、また、価値関係訴訟について新たな社会的価値の創出を図ること、すなわち「大きな正義の実現」を図ること。 しかし、最高裁によって人事を統制されたヒエラルキー的キャリアシステムの「司法官僚裁判官」による日本の裁判については、裁判官の視線が、ともすれば、当事者の方よりも、最高裁ないしその事務総局の方を向きがちである。したがって、(A)の点についてゆがみが生じやすく、たとえば、民事では、早期事件処理のための和解押し付け傾向、重大な社会的結果の生じる事件について認容を渋り、事なかれ主義の却下や棄却ですまそうとする傾向、刑事では、有罪推定指向が強く被疑者・被告人の人権には鈍感な傾向が生じてくる。また、(B)の側面については、日本の司法は、国際標準からみても、きわめて不十分にしか機能していない。 なお、日本人が世間一般と同様のこととみてさほどの違和感や疑問をもたない「裁判官が行政官僚と同じようなかたちで、ピラミッド的、相撲の番付的な官僚機構の『出世』の階段をのぼってゆく」というシステムは、英米のみならず、ヨーロッパにもあまりみられない、特殊日本的なシステムである。すなわち、英米では法曹一元制度が採られているし、ヨーロッパでも、空いたポストに、適切な裁判官が、場合によっては応募等をも経て任命されるのであって、裁判官の「出世」という観念自体があまりない。 また、裁判機関としての最高裁については、海外の研究者からも、「日本の最高裁ほど違憲立法審査権の行使をためらう裁判所を世界中でほかに見出すことは困難」との評価さえ出ていることを指摘しておきたい(デイヴィッド・S・ロー著、西川伸一訳『日本の最高裁を解剖する──アメリカの研究者からみた日本の司法』〔現代人文社〕)。