戦禍3年目のウクライナ、ロシア軍が行う占領統治の実態。妊娠8ヵ月の娘を喪った母の悲しみと、ウクライナ軍兵士の息子の存在を隠した夫婦【現地ルポ】
2022年2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻。今もウクライナでは市民がミサイルに怯える日々が続く。長引く戦禍のなかで追い詰められていく苦境を、2つの家族の姿を通してレポートする(取材・文・撮影:玉本英子) 【写真】ウクライナのオデーサにある戦没兵士の墓。2022年夏に訪れたときの何倍にも増えていた * * * * * * * ◆病院への攻撃で妊婦が犠牲に ロシア軍はウクライナ東部の要衝地を攻略しながら、徐々に戦線を広げつつある。ドネツク州の前線の町セリドヴォでは、20キロ先までロシア軍が迫る。 町は繰り返しミサイル攻撃や爆撃にさらされてきた。民家や工場、学校……あらゆるものが狙われる。今年2月14日には、町のいちばん大きな中央病院が攻撃を受けた。 私は、攻撃から4日後に病院を訪れた。産婦人科病棟の破壊はすさまじく、屋根もコンクリート壁も吹き飛んでいた。崩れ落ちた瓦礫のなかに、赤ちゃん用の紙オムツや、聖書の言葉を記した小冊子が転がっていた。 攻撃の前日、妊娠8ヵ月だったカーチャ・グーゴワさん(39歳)は、体調を崩したため中央病院にやってきた。その日は、付き添いの夫と病棟に泊まることになった。 深夜、町に大きな爆発音が響きわたる。カーチャさんの家のすぐ近くにミサイルが落ちた、と母親から連絡が入った。夫が急いで家に戻ると、自宅のすぐ先の集合住宅が燃えていた。救助隊は子どもを含む負傷者を救い出し、次々と中央病院に搬送した。
ところが約1時間後、その病院に3発のミサイルが続けざまに着弾する。うち1発が産婦人科病棟を直撃し、カーチャさんと、同じ病棟にいた母子のあわせて3人が亡くなった。現場に駆け付けた警察医療隊の隊員は、瓦礫に埋もれたカーチャさんらを救えなかったことを悔やんだ。 「まず住宅を攻撃し、負傷者が病院に運ばれてきたタイミングで3発のミサイルが撃ち込まれました。市民の犠牲拡大が目的です」 私はカーチャさんの自宅を訪ねた。たくさんのぬいぐるみが並ぶ部屋。食べかけのクッキーが棚に載ったままだった。 「もうすぐ生まれてくる赤ちゃんを、どれほど心待ちにしていたことか……」 母のオルガさん(62歳)は、力なく言った。 「人が、子どもが、毎日殺されている。私は感情も失ってしまいました。憎しみすらわきません。みんな平和を望んでいます。もうこの戦争を終わらせてほしい。ただそれだけです」 部屋にあったカーチャさんの肖像画の目は、大きく見開いている。 「なぜ私と赤ちゃんは死ななければならなかったの」 彼女がそう問いかけてくるようで、胸が痛んだ。
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