【バスケ】日本バスケ界の「救世主」となったニック・ファジーカス Bリーグを、日本代表を変えた稀代のプレイヤー
「たら・れば」を考えることを、ナンセンスだと考える人はいる。女々しいことですらあると言う人も、中には存在する。 ただ、それでも、こう夢想してしまう。 ニック・ファジーカスがブレイブサンダースに、日本に来ていなかったら、と。 そう思う行為は、とてつもなく突飛なことでもないだろう。それほどまでに、日本のバスケットボール界にファジーカスが登場する前と後とでは、多くのことが変わった。 JBL時代の2012-13。東芝ブレイブサンダース(現川崎ブレイブサンダース)は、8勝34敗で最下位に終わるが、翌年、ファジーカスが入団すると29勝13敗と成績を一気に上げ、リーグ準優勝にまで上昇した。 その後、JBLがNBLと看板を架け替えてからの3年間で2度のリーグ優勝を果たし、Bリーグに入ってからも初年度に準優勝するなど、常勝チームと認識され続けた。 ファジーカスの、日本代表に与えた衝撃を覚えている人も少なくあるまい。2018年。東京オリンピックへの自国開催枠取得もかかった翌年のFIBAワールドカップ出場へ向けてのアジア地区予選で日本は、1次ラウンドの開幕から4連敗を喫する。しかも、5戦目の相手は当時世界ランキング3位のオーストラリア。 本大会出場が風前の灯となったかに思われた日本だったが、このタイミングで帰化申請が承認されたファジーカスが代表入り。八村塁(現ロサンゼルス・レイカーズ、当時はゴンザガ大)も同時に参加したこともあって、日本はオーストラリアを破ってみせる。 果たして日本は、このオーストラリア戦から8連勝を収めてワールドカップへの切符を手にし、東京オリンピックの椅子を事実上、確保したのだった。ファジーカスの加入なくしてありえなかった、日本のバスケットボールにおける歴史的な事象だった。 「人々はあなたのことを日本代表の『救世主』などと呼んでいますが、どう感じていますか」 同ワールドカップ直前。筆者はファジーカスとの会話で、このようなことを聞いた。するとファジーカスは少しの冗談のトーンをこめながら、こう返した。 「僕らの目標はワールドカップで1次ラウンドを突破すること。もしそれが達成できたなら、そうだね、僕のことを『救世主』だと呼んでもらってもいいかな」 ファジーカス、八村、渡邊雄太を擁したチームは日本史上最強と謳われながら、しかし、0勝5敗という無惨な結果に終わった。 だからといって、ファジーカスに「救世主」の呼称を授けなくていいかと言えば、そんなことはないだろう。もしファジーカスが日本代表に加入していなければこの2019年のワールドカップ出場は難しかっただろうし、となれば翌年の東京オリンピックへの道も断たれていた可能性があった。2023年のワールドカップでの日本の飛躍は記憶に新しいところだが、2つの世界大会の舞台で戦う経験なしに、はたしてそれは成しえたのだろうか……。 207cmの元NBA選手はやはり、日本代表チームに多大な影響を与えた、偉大な「救世主」だったと考えるのが妥当だ。