【バスケ】日本バスケ界の「救世主」となったニック・ファジーカス Bリーグを、日本代表を変えた稀代のプレイヤー
抜群のシュート力が外国籍選手の底上げに
NBAでのプレー後、ヨーロッパでプレーをしていたファジーカスは左足首に大きな故障を負い、治療も奏功せず、以来、それとつきあいながらコートに立ち続けた。足首のためにスピードは失われ、身体能力で勝負をすることはできなくなっていた。 それでも日本で12年もの長い期間プレーをし、38歳の歳まで現役でいられたのは、彼の卓越した技術と高いバスケットボールIQのおかげだったと言ってもいいだろう。 少年期まではガードでプレーしていたこともあり、3Pシュートやフローター、フック、フェイダウェイシュートと様々な得点方を持ち、またフロントコートを走る味方へ向けての弾丸のようなアウトレットパスも彼の代名詞となった。 足首のおかげで高く跳躍できないにもかかわらず、リバウンドで毎年、リーグトップクラスの数字を残せたのは、ボックスアウトや位置取り、落ちてきたボールをティップする技術などに優れていたからだ。 ファジーカスは来日した当初のリーグには自身と同等の実力を持つ選手は少なかったものの、やがてより力量のある選手は増え、リーグのレベルも上がっていったと言う。 アシスタントコーチとして、ヘッドコーチとして、やはりファジーカスと12年間、同じチームで活動してきた佐藤賢次氏(2023-24シーズン終了後に退任が発表された)は、インサイドのサイズとパワーを生かしたバスケットボールが主流だった日本リーグのそれは、ファジーカスが来たことで変化していったと証言した。 「あれだけシュートタッチが良くて、うまくて、パスもさばけて賢い選手っていうのが、どれだけ試合に影響力を持っているかっていうところで、それに勝つためにいろんなチームが(ファジーカスに)対抗できるような長身選手、動ける選手を獲得していきました。そこからまたレベルがどんどん上がっていったように思うので、リーグ全体の発展と成長と日本のレベルアップに大きく貢献した選手だと思っています」