【バスケ】日本バスケ界の「救世主」となったニック・ファジーカス Bリーグを、日本代表を変えた稀代のプレイヤー
日本代表に“自信”与え崖っぷちからW杯に導いた
「自分が加わった時の日本代表には自信というものが欠けていた」 ファジーカスは当時をそう振り返った。日本代表の面々は各々の武器とする長所を生かしきれないほど、相手に対して気持ちの面で後塵を拝していたが、ファジーカスが入り技量でも気持ちでも相手と戦う姿勢を示したことで、チームの空気は変わっていった。 上述のオーストラリア相手の歴史的な勝利。いずれも両軍トップの25得点、12リバウンドを記録したファジーカスにとっても「その晩はなかなか寝付けなかった」というほど、高揚感の冷めない、特別な試合となった。 ファジーカスが回顧する。 「あの夜のオーストラリアとの試合は、間違いなく日本のバスケットボールを変えるものだったし、そこに僕自身が大きく貢献できたと思っている。自分の影響がどれほど大きなものかは周囲の人たちが決めることだけど、僕にとってはすべてがあの夜、変わったと感じているし、それについてはとても充足した気持ちでいるよ」 「最初は不安だったんですよ。さえない感じで、歩いて入ってきて。ヨレヨレのネバダ大(ファジーカスの母校)のTシャツに、メガネをして。歩き方は今も昔も変わらずっていうか、確かに大きいけど、得点力のある外国籍選手が来るって言って『この選手で果たして本当に大丈夫なんだろうかっていうのが最初の印象でした」 2012年。ファジーカスがブレイブサンダースに加入した時の第一印象について、その後、12年間、チームメートとなる篠山竜青はそう述べた。だが、そのアメリカから来た、どこか頼りな下げな風貌と歩き方の選手は、シーズンの開幕戦で「いきなり30点近い活躍」(篠山)をし、ろうそくの火を吹き消すかのように不安を払拭してみせた。 篠山が、言葉を続ける。 「すごい外国籍選手がうちに来ちゃったかもしれない」 篠山、長谷川技は12年、藤井祐眞は10年、ファジーカスとブレイブサンダースでプレーをしてきた。例えば高校や大学でも選手が同じチームにいるのは3、4年だ。近年の移籍の激しいBリーグにおいても、あるいは世界のどのリーグにおいても、10年以上も同じ釜の飯を食うということなど、相当に稀なことであるはずだ。 篠山はファジーカスと長く一緒にやってきた面々と彼との関係性を「家族みたいなもので、仲が良い、仲が悪いという言葉だけでは表現できない」ものだとした。 「漫才師っぽく言うと、ある時はとても大好きだけど、ある時は本当に憎いみたいな。そういう本当、家族のような特別な関係性だったと思うし、いろんなやり取りもありました。そんな中でもこうやってニックを中心にブレイブサンダースの歴史を築けたっていうのは自分にとってすごくありがたいバスケット人生……というより人生の経験として非常に貴重な12年を彼と送れたんじゃないかなと思っています」