会社はディスコで、デスクはブース。箱DJ、廣田征己さん。
クラブやイベントで多くの客が一斉にDJブースを眺めてリズムにのる光景に少し違和感を覚えていた。昨今、ラジオ業界などを除くいわゆる現場DJは、客に見られる“主役”として扱われがちだが、DJが普及していった’70年代ディスコ期の彼らはあくまで“黒子”。主役である客は、好きな方を向いて踊っていたし、DJブースを眺める人は音源が気になる好き者を除きほぼ皆無に等しかった。 お客様サービスに徹する、銀座『マジック』サラリーマンDJの姿勢。 なぜDJのメインストリームが大きく変わったのか。そんなことを思っていると雇用の変化も大きな要因のひとつだったのかもしれないという持論に行きついた。現代のDJはほぼフリーランスでイベントに呼ばれていろいろな場所に赴くが、かつてのDJはそれぞれのディスコに配属している社員DJがほとんどで、毎日そこにいる存在だった。前者は人にファンをつけなくてはいけないが、後者は箱(ディスコ)にファンをつける。黒子に徹するというのはそんな“箱DJ”だからこそなせた業だったのかもしれない。 箱DJの仕事やスタンスをより深く知りたいと思い、銀座の踊れるソウルバー『マジック』で選曲している廣田征己(ひろた・まさみ)さんに会いに行った。廣田さんはこの箱に勤務する社員で、毎日営業中は休むことなく選曲している全国でもかなり珍しいスタンスのDJなのだ。
「ディスコ業界以外はわかりませんが、確かに社員のDJって僕以外に聞いたことがないですね(笑)。帯で毎週この人、というのはあっても、一つの箱で毎日やっているって人は僕の知る限りいないです。この店は『GQ』という名前で1999年にオープンして、僕は2000年に入社しました。途中『鶴千』って名前になり、オーナーが変わって今の『マジック』になっていますが、とにかく23年ずっとここにいてDJしています」
廣田さんは兵庫県神戸市出身。’90年代が20代のときとほぼかぶっていて、その頃はサラリーマンをしながらクラブのイベントでDJをしていた。つまりよくいる半分趣味のDJだったわけだが、DJで食べていこうと一念発起し28歳で上京。求人情報誌でこの店のDJ募集を発見し、箱DJキャリアがスタートした。 「店の営業は平日が19時から翌2時までで、週末は翌4時まで。その時間はずっとプレイしています。休日は店が定休日の月曜と、第一第三日曜だけ。でもこれでもマシになったんですよ。リーマンショック以前の『鶴千』だったときは、18時から翌5時まで(笑)」。ちなみにこの7~9時間のDJプレイ中、廣田さんは常に繋ぎ(DJ MIX)で選曲。一曲3分だとしたら一時間で20曲。一日に140~180曲くらいかけている計算になるから驚愕である。