【ヤマハRZV500R(1984)試乗】2スト500cc!世界GPマシン「YZR500」レプリカを21世紀に走らせる
ヤマハRZV500R「2ストV4エンジン搭載で衝撃のデビューを果たしたYZR500レプリカモデル」
1981年発売のRZ250に端を発した2ストレプリカブームは国内各社に伝播し、ついに世界GP最高峰クラス500ccのレプリカをも登場させた。かくして創業時から2サイクルを手掛けてきたメーカーの意地を賭け、1984年にヤマハが放った究極のレプリカモデルがRZV500Rである。 【画像13点】究極の2ストハイパワーレプリカ【ヤマハRZV500R】を写真とともに解説 ライトウエイトピュアスポーツからレーサーレプリカへの橋渡しであり、起点とも言えたヤマハ RZ250が販売された1981年、私は自動二輪の免許取得を今か今かと待ちわびていた早生まれの高校1年生だった。それから数カ月して原付免許、次に神奈川県二俣川の運転免許試験場に通って自動二輪小型限定免許を取得。さらに教習所で条件変更のための実地教習を受けて中型限定免許へとステップアップを果たした。 なぜそんな段階を踏んだかと言えば、当時高校生での中型の一発試験合格はなかなかの難関で、前述の方法が早く安く中型を取得できる近道だったからだと思う。私は3ナイ運動まっただなかの学生だったのだ。 しかし、そんな高校生への「逆風」にもかかわらず、バイク業界はどんどん新機種を投入していた。限定解除が超難関だった時代だけに、メーカーは250~400クラスに惜しみなく技術を投入した。RZ250を皮切りにホンダはVT250FとMVX250F、スズキは革新的なRG250Γを投入し、カワサキは世界GPマシンであるKR譲りのタンデムツインのKR250で対抗。私の頭がクラクラするくらい、バイク業界はすごい方向へ進んでいた。 それから間もなく、先鋭化した2サイクルスポーツ路線の最中で、ヤマハはまさに世界GPマシンYZR500のレプリカといえる、500cc水冷50度V4エンジンを搭載したRZV500Rを登場させた。まさに2ストレプリカの極致と言える存在だ(ただしコンパクト化をねらったことにより、エアクリーナー、キャブ、マニホールドやチャンバーなどの吸排気系配置が大きな苦心点となったという)。 当時のライダースクラブ誌に掲載される世界GPの美しい写真を食い入るように見ていた私だから、その登場はセンセーショナルだった。だがその一方で、もう付いていけないとも思った。数年前に登場したRZ350は、ナナハンをカモにするパワーとスポーツ性で話題をまいたが、未熟なライダーには手に負えないとささやかれ、乗ってか乗らずでかは知らないが、同車を「走る棺桶」と畏怖した仲間もいた。 その上を行く500のしかもV4で、さらに価格は当時のナナハンをはるかに超える82万5000円! これを買えるヤツはうらやましいと思った一方、自分には乗りこなせないとハナから思ったモデルだった。 それが今、私はオーナーさんのご厚意で借り受け、縁はなかろうと思っていたRZV500Rを目の前にして乗り出そうとしている。心中はもちろん穏やかなわけがない。 だが、YZR500レプリカとうたわれた目の前のRZV500Rは、またがると相当に足着きのいいツーリングスポーツといった印象だ。身長173cmで両足はカカトまでべったりと着いてまだ余裕があり、当時はレーシーに見えていたセパレートハンドルは、上体がやや前傾するくらいの高さにある。 リアルレプリカをうたい、YZRレーサー譲りの技術は実際に盛り込まれたが、やはり私のように恐れを感じていたライダーは多かったのだろう。ヤマハはそれを見越して、RZV500Rをツーリングにも使えるバイクに仕上げたのだと感じる。 *試乗車は1984年式国内仕様をキャブやチャンバー加工により、88psの輸出仕様としたもの。前後に専用のモーリス製アルミ鍛造ホイールを装着して17インチ化し、17インチのハイグリップラジアルタイヤ(前120/70、 後180/55) を履かせていた。