イッセー尾形が一人芝居を40年以上続ける理由「一人芝居の醍醐味は、意味を超えたところで観客と笑い合えること」
イッセー そうかもしれない。誰もが分かる人を演じて結局何をやりたいのかというと、“入り口探し”なんだと思うんです。僕の仕事は“想像入り口業者”。想像の入口を開けるといろんな世界が広がっているけど、その先は人に任せておいて僕はやらない。 ── 入口の先は誰に任せるんですか? イッセー 文学者とか哲学者とか宗教家とか、その道の専門の人に任せます。もちろんお客さん自身にも。僕は芝居を通していろいろ想像してほしいんです。 今って、想像するきっかけがあまりにもなさすぎでしょ。意識が自分に向いてる時代だと思うんですね。暇さえあればスマホと対話するから、どうしても自分だけの世界になってくる。 でも、これって喜劇の正反対なんですよ。喜劇ってのは外からやってきて、何をやってんだいっていうアクションがあるから笑えるんです。自分だけの世界では笑えないんですよ。やっぱり、クスクスでもいいから笑ってもらわなきゃダメ。どう笑いにもっていくか、四苦八苦してやっています。
「事務所も演出家たちとも離れて一人になった時、何も見えなくなった」
── イッセーさんは一人芝居で毎回新作を作っているそうですが、アイデアは枯渇しないんですか。 イッセー 一度は枯渇しました。ずっと所属していた事務所を12年前に離れ、演出家たちとも離れて一人になった時に何も見えなくなった。時代も、人も、何にも見えなくなったんです。 ── それをどうやって乗り越えたんですか。 イッセー 「夏目漱石で一人芝居やりませんか」というお話をいただいたんです。それで夏目漱石の小説を読み返したら、主人公の周りに登場人物がいっぱいることに気付いた。それで勝手に一人芝居を作って演じてみたんです。 ── スピンオフみたいな形でしょうか。
イッセー そうそう。そうすると無限にいるんですよ。夏目漱石は明治時代ですけど、次は太宰治と次第に現代に近づいて、今のようになっていった。 でもあの時は本当に、何も見えなかったですね。だから、本をいっぱい読んで、想像をいっぱい膨らまして、絵を描いたり、スケッチしたり……。「この人はどんな人なのか」を考えることが、僕にとっては一番の原動力なのかな。 ── イッセーさんとお話していると、哲学者のような方だとも感じます。哲学の本も読まれるんですか。 イッセー う~ん。哲学は好きですけど、「生身の人間はこんなもんじゃない」ってどうしても思っちゃうんですよね。でもそれがバネにはなるので、バネ作りのために読んでいます。 ── イッセーさんにはそうした知識や心の持ちようが下敷きとしてあり、それを超えて作品を生み出してるからこそ、笑いが起きるのかもしれませんね。 イッセー そうだとうれしいんですけどね。長く公演を続けていても、幕が開いてから初めて僕も気付くことがあるし、お客さんにもそこで初めて気づいてほしいです。劇場を出たら忘れてもいいんですけども、その瞬間は僕もお客さんも初めてのことを分かち合う。それはすごく価値のあることだなと思います。