イッセー尾形が一人芝居を40年以上続ける理由「一人芝居の醍醐味は、意味を超えたところで観客と笑い合えること」
「意味を超えてお客さんと笑い合えるのが理想」
── 現在、『イッセー尾形の右往沙翁劇場2024』の巡回公演をされていますが、イッセーさんの芝居の中には市井に生きる様々な人たちが出てきますね。これはどこかで観察しているんですか。 イッセー 観察は基本的にしません。最初のうちは人間を制服で捉えて、医者は医者らしく、教師は教師らしく、バーテンはバーテンらしく、そういう記号を押し付けられた人たちを演じたんです。でも今はそれほど制服が目立たない時代ですから、劇の早い時点で、私は誰でここはどこって表明しなきゃいけない。 ただ、その人が遠い存在だとお客さんの興味は離れていくんです。だから「あ、この人知ってる!」あるいは「もしかして私か?」と思われるような人物を選ぶ。知ってる人を演じるなら、観察する必要がないんですよ。
── 確かに、自分が知っているような人に扮したイッセーさんが出てくると、つい笑ってしまいます。作品作りの段階でそれを狙っているのですか。 イッセー 出たとこ勝負ですよ。舞台の上でのニュアンスとか動きは瞬間に出るものであって、お客さんはその瞬間を笑っている。意味を超えて笑い合えるって理想ですよね。台本を作る際に、台詞はどうしても意味で書いちゃうけど、僕の目指している極地は意味のない世界です。 ── 客席と呼応する舞台だから出来ることですね。 イッセー それが本当の劇場の醍醐味です。やってみなきゃ分からないし、お客さんもその瞬間にしか立ち会うことができない。“瞬間芸術”とでも言いましょうか。
「僕の仕事は“想像入り口業者”です」
── 広い舞台にたった一人で立つ時、不安は感じませんか。 イッセー 最初の頃はやっぱり怖かったですよ。一番怖いのは、本番前の楽屋で「これの面白いところはどこなんだ?」って自分を疑ってしまう時。今ではさすがに減りましたけど、あの時間は怖いですね。でも、演じている最中って結構しぶといもんで「ウケなかったらウケるまでやってやる、巻き返してやる」みたいな力が瞬間的に出てくるんですよ。 ── それは脚本も出演も自身でされているイッセーさんならではの感覚かもしれないですね。