能登半島地震から間もなく1年…「故郷に住み続ける」ということ、住民が口にした『あたわり』という言葉
【話題の現場 突撃ルポ】 能登半島は今、人口の流出に歯止めがかからない。石川県によると、奥能登4市町(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)の人口は元日の地震が発生してから10カ月で、7.5%減少した。本紙記者は11月下旬に被災地を訪れたが、復興が進まず将来を悲観する住民の声が多く聞かれた。 【写真】石川県・馳浩知事は危機感ゼロ! 能登豪雨災害でやっと珠洲市視察もKY能天気コメント それでも能登の人々の多くは「故郷に住み続ける」という強い思いを持つ。穴水町に住む馬道百合子さん(83)もそのひとりだ。馬道さんが住む麦ケ浦地区は、静かな入り江に20軒ほどの家が集まる小さな集落だ。正月の地震で一時孤立状態になったが数日後に道路が復旧し、現在はガスや電気も通っている。馬道さんはそこで60年以上カキの養殖を続け、今も現役だ。 「中学を卒業してから、親を楽にしたい一心でカキ漁を一緒にやった。お金を使うこともなかったし『今日も親の手伝いができた』って満足しながらお風呂に入った時の気持ちよさ、充実感は今も鮮明に覚えている。来る年も来る年も新鮮で、結構楽しい人生やったなと思う。今さらここを離れるのは考えられない」 地震が起きてから、麦ケ浦の住民はかつての3分の1にあたる10人ほどに減った。それでも馬道さんは、離れてしまった人たちのためにも麦ケ浦に居続ける。 「やっぱり長いこと一緒に生活してきた人だからね。みんな恋しいから私の家に話をしに来るし、私もみんなのところへ行くしね。集落の人は散り散りになったけど、ここで私が元気にしていれば、また会えますから。みんな根っこではつながっている。つながっていたいという気持ちを強く持てば、また出会えます」
先の地震は『あたわり』だと思っています
珠洲市もまた、震災で甚大な被害を受けた。中心地は今も営業を休止する店が多く、夜になると町が静まり返り、どこか寂しい雰囲気が漂う。市役所近くの飯田町商店街にある本屋「いろは書店」の店主・八木久さん(83)は、地震で店舗が全壊するも、仮店舗で営業を続ける。 「正直、また大きな地震が来たら……という思いもあり、そういう点では気を抜くことができません。だけど、じゃあダメだというふうに思い込んでもダメだ」 住民の楽しみを絶やさないためにと、タクシー会社の事務所を改装し、3月に営業を再開。八木さんは「一日一日を前向きに生きていけば、良い方向に行くと思ってやっています」と力強かった。 帰り際、記者は八木さんにこう声をかけられた。 「この地域には『あたわり』という言葉があります。私も先の地震は『あたわり』だと思っています。よかったら後で意味を調べてみてください」 検索してみると北陸地方に伝わる言葉で、「巡り合わせ」「宿命」という意味らしい。後日、馬道さんが電話でその意味を詳しく教えてくれた。 「『あたわり』というのは、言い換えるなら自分に向かってくる事実であり、天から与えられた運命。それは良いこともあれば、悪いこともある。人生は時々、大地震のようなことが起こりますが、それは自然との約束だから逃れられないもの。私も時々、生きていくことはなんて難しく、不安で怖いものかと思います。けれど、今襲ってくる困難を『あたわり』だと思い、それを受け入れ、前向きに努力していずれ立ち直っていこう。そんな思いで、書店の店主さんはおっしゃっていたのだと思います」 困難にあっても諦めることはないし、だからといって力むこともない。そんな人生の“たたずみ”方を教えてもらうのであった。 (取材・文=橋本悠太/日刊ゲンダイ)