コロナ禍のいま、清志郎さんを思う デビュー50周年を迎えて【前編】
子どもながらによく「放送禁止にならなかったな」と
― アン・ルイスさんや金子マリさんとか人との交流を大事にしてましたよね。 呑太夫 金子さんの息子の金子ノブアキさん、KenKenさんはロックバンドRIZEのメンバーですからね。ノブアキさんは俳優としても活動して。清志郎さんも子どもが生まれてステージに上げたりしてましたね。生まれたてのお子さんを抱えた写真がジャケットに使われたり、お子さんの歌も増えて。 虎男 長男の「竜平くんの歌」とかありますね。 呑太夫 清志郎さんって「子どもが生まれたら曲なんか書けない」って思ってて、毎日3曲ずつぐらいレコーディングしてアルバム出る1年ぐらい前には40~50曲ぐらい出来上がって。凄いスピードでやってのけるというか。篠原涼子さんとのライブも仲良さそうにやっていて、女性ファンはやきもきしてましたけど(笑)。でもやっぱり篠原さんとのキスより教授(坂本龍一)とのキスがインパクト絶大。当時は子どもながらによく「放送禁止にならなかったな」と思いました。 志和 あの頃、カラオケの罰ゲームで男同士キスさせられましたよ(笑)。 呑太夫 キスって慎ましく見せる時代でしたからね。価値観がひっくり返ることってその時代、その時代でありますけど、あの時代ってユーモアがあって面白かった。 志和 YMOの「増殖」もあの時代か…。 呑太夫 そうですね、「宝島」でメディアミックスみたいな感じで。昔、仮面ライダーがお菓子とメディアミックスした感じのロック版というか、文化人も巻き込んでましたね。RCは「ロッキング・オン」とか読んでる人たちにとってはヒーローだったんですけど、まだ芸能界の主流は歌謡曲でした。ソロになって役者やったりしてからはRCのファンで良しとしない人もいたんだろうけど、映画やドラマに出ることでいつの間にか清志郎さんのファンが増えていたという。 タクオ 僕なんかそうですね。 呑太夫 90年代ってRCの幻影を引きずっていたというか80年代の盛り上がりに比べて波が引いてる感じがして。00年代になってファンが入れ替わって、いまでも10代・20代で清志郎さん聴いてる人もいる。昔のファンも若いファンもいる。さっき志和さんがおっしゃった“大きな愛に包まれた”ようなライブを観れましたね。