「同志社蹴って地元で進学」彼が下した決断の背景。60年の人生に大きな影響を与えた1浪の浪人生活
■同志社大学を併願として考えるように 「私はマーク試験が苦手で、記述が得意でした。日本史と小論文がよくできたので、記述式が多い慶応でいい判定が取れたのだと思います。北海道の人間は北大がトップで、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)といった難関私立大学群を知っている人はあまりいませんでした。 早慶には漠然とした憧れがあったのですが、慶応は小学校教員になりたい私と学部のミスマッチがあったことと、受験のためだけに片道2万5000円の航空運賃と宿代を使うのは難しいと思い断念しました。
そう残念に思っていたところに、併願として浮かび上がってきたのが同志社大学です。札幌で受験ができましたし、体育の授業で京都御所の周りを使っているという話を聞いて、歴史的な場所を授業で使えるなんて、なんて素晴らしい大学なんだろうと思いました」 しかし、慶応でA判定が取れるほどの成績だった山西さんが、なぜ現役時代、「スランプ」に陥り受験を失敗したのでしょうか。その理由を聞いたところ、「理解がおろそかになったこと」と、「文系物理で沼にはまったこと」を挙げてくれました。
「現役のときは教科書を写しながら、シャープペンシルと赤・青の鉛筆で綺麗にノートを取ることに意識しすぎていました。見やすいのですが、綺麗に書くことに集中してしまい、理解するまでにはいかなかったのです。 また、3年の初めに授業で文系物理を選択したのですが、それがまったくわからなくなって、到底受験で使えるレベルではなくなりました。10月にどうしても無理だと思って、受験科目を生物に変えたのですが、学校で受ける授業自体は変えられなかったので効率が悪かったです」
そうしてスランプを乗り越えた山西さんは、この年の共通1次試験では前年度より170点上昇し、708/1000点を記録。 直前まで北海道大学を受けたいという気持ちはあったものの、昔からの自身の夢を優先して北海道教育大学教育学部札幌分校、同志社大学の商学部、北海学園大学の法学部を受験し、見事、すべての大学に合格しました。 しかし、合格はしたものの、希望したコースには進めなかったそうです。 ■同志社と北海道教育大で悩んだ末に…