「同志社蹴って地元で進学」彼が下した決断の背景。60年の人生に大きな影響を与えた1浪の浪人生活
■浪人時代の勉強習慣が生きている 山西さんに浪人してよかったことを聞いたところ、「勉強というものに1年集中できたこと」、頑張れた理由については、「部屋に紙を貼っていたから」と答えてくれました。 「今で言うと、脳科学の考え方ですが『大学合格』という目標を書いた紙を貼ることによって、勉強のモチベーションを維持できていたのだと思います。ハノーバー大学に入ったとき、すべて英語の生活が始まって、1時間の合唱団の活動以外は毎日月から金まで勉強漬けだったのですが、浪人のときの勉強習慣が生きたのではないかと思います。
当時の教育大は小論文があったので、その対策として1年間に33本執筆していたおかげで今、物書きが得意になりましたし、大学教授になるために21年間で250近くの大学を受けて不採用になりましたが、高等教育機関の研究者にもなれました」 「いろんな苦労があったとしても、それは幸福の入り口になる」と語る山西さんは現在、「赤本」(教学社、2011- 2017)や「GENIUS英和大辞典」(大修館書店、 2000)など、単著・共著を含めて68冊の書籍に携わっています。
山西さんが去年上梓した『自分を元気にすることば』には、今まで自身が学んできた英語教育や心理学の領域から、人の心を元気にするための33個の魔法のことばが紹介されています。そして、そこには、山西さんがこれまでの人生で培ってきたこと、感じてきたことがつづられています。 「阪神淡路大震災が起きたとき、私は札幌で中高一貫校の教員をしていたのですが、被災された方のためにすぐに支援をしたいと思っていても本業があり、しかも遠方なのですぐには動けなかったというジレンマがありました。
でも、東日本大震災が起きたとき、私は栃木に異動していました。距離的に近いことから現地まで動こうと思い、東北に3年間で5回支援をしに行ったのです」 ■童謡メンタルセラピーを作る 「そのとき、今まで学んできた脳科学や心理学を用いて、日本の美しい風景や情緒を唄う童謡の力で、全国各地で不安や孤独に悩む大勢の人々を笑顔にしようと思い、童謡メンタルセラピーを作りました。 今年も能登半島災害の支援に2回行って、被災地での人々のメンタルケア活動をしています。人の心を元気にするため、自分のできることを頑張りたいと思います」
大学教授をしながら、国際音楽メンタルセラピスト協会会長として、童謡メンタルセラピストとしても活躍している山西さん。 「人は悲しみが多いほど、他人に優しくできるのだ」 その座右の銘のもと、精力的な活動を続けている彼の優しさは、まさに浪人の挫折が大きく影響しているのだと思いました。 山西さんの浪人生活の教訓:苦労や悲しみを経験することで、人はより優しくなれる
濱井 正吾 :教育系ライター