23日にラグビー早慶戦 充実の早稲田BK陣を牽引するのは3年生・野中「うちのBKは若いので、僕がしっかり引っ張る」
兄と同じく花園で優勝 AO入試で早稲田へ
野中は福岡・筑紫丘高でNO8としてプレーしていた父、そして兄の亮志の影響で、5歳の時に大阪・枚方ラグビースクールで競技を始めた。兄は東海大仰星高時代に「花園」こと全国高校ラグビー大会で優勝し、その後、筑波大学、清水建設江東ブルーシャークスでもプレーした名CTBで、昨季、ブーツを脱いだ。 現役を引退した兄は今でも憧れの存在で「ラグビー面だけではなく、ラグビー以外の姿勢も真面目だったので見習わないといけない。将来、対戦できればいいかなと思っていましたが、対戦しない方が気持ち良く尊敬できるかな」と話した。 野中は兄と同じジャージーを着るために中学から東海大大阪仰星に進学。中学時代から中心選手として活躍し、太陽生命カップでは連覇を達成した。さらに高校3年時も、花園のピッチに立つだけでなく、兄と同じく中軸として6度目の優勝に大きく貢献した。 「特別に意識していませんが、中学、高校でも優勝しているので、大学でも優勝したらすごいな、と思います。達成したいですね!」 筑波大に進学した兄とは違い、高校の先輩である日本代表CTB長田智希(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)らの影響や、高校2年時に見た早稲田大の日本一の姿を見て憧れて、えんじのジャージーを志望。スポーツ推薦ではなくAO入試でスポーツ科学部を受験し、見事に合格した。 「憧れから始まり、高校生になるにつれて、早稲田大に行きたいという気持ちが強くなった。先輩もいたし、いろんな人がいる中でチームを作っていくのがいいなと思った。勉強はしんどかったですが、今となっては小論文など対策して努力して良かった」(野中)
ルーキーSO服部とスイッチしながらプレー
ルーキーイヤーから、12番だけでなく10番でも試合に出続けて、大学選手権決勝の舞台にも立った。昨季もU20日本代表で世界の舞台を経験して、「メンタル的に通用する部分があったと自信がついた」という野中は、対抗戦から全試合で先発するなど、チームには欠かせない選手として成長し、「毎日の練習に対する意識が変わった」という。 10番、12番とゲームコントローラーとして試合に出場する中で、大きかったのは、元日本代表SOである大田尾竜彦監督からの指導だった。「大田尾監督と話していく中で、監督の考え方は自分にとってプラスになることばかりです。映像を見て『こういうところもあるよ』と教わり、毎日勉強させてもらっています」(野中) 今季、ロングキックに定評のある服部が10番、野中が12番を背負うことが多くなったが、動きの中で野中が10番に入るシーンも多い。野中は「大学に入って10番をやり、スペースを見て判断してきたことは良い経験として生きている。ただ、試合に入れば背番号は関係ないので10番、12番でコントロールしていきたい。服部のキック力はすごいですが、キック力だけではなく、聞く力があり、コミュニケーションを取って対応できるのがすごいな」と目を細めた。