総選挙で惨敗…もはや歴史的役割が終わった創価学会・公明党と共産党、必然の「衰退の末路」
ブームは去り、組織は年老いた
しかも、当時の創価学会は日蓮正宗と密接な関係をもっており、創価学会に入会することは同時に日蓮正宗の檀徒になることでもあった。日蓮正宗の総本山である大石寺には、彼らが考える究極の「御本尊」があり、それは日蓮正宗・創価学会の信仰の正しさを証明するものでもあった。 日蓮正宗の信仰は正しいと教えられた創価学会の会員は、その信仰を広めるために、相手を強く説得する「折伏」を行った。折伏を行うには日蓮正宗の教えを学ばなければならない。それは、十分な教育を受けてこなかった創価学会の会員の識字能力を高め、また自分たちだけが正しい信仰をもっているという自信を植えつけることにもなった。 会員たちは、その集まりである地域の座談会で、折伏の成果を発表した。会員や『聖教新聞』の購読者を増やすことが成果で、それを発表すれば、座談会に集った他の会員たちから拍手喝采された。それがさらに自信を与えることにつながった。池田氏も日本全国をまわり、会員を励まし続けた。 しかし、1970年代に入るころには高度経済成長は曲がり角にさしかかる。70年の大阪万博がピークで、73年の第1次オイル・ショック以降は低成長の時代に変わる。そうなると、大都市への人口移動も低調になり、創価学会に入会する人間は減っていった。 つまり、創価学会という組織は、1950年代半ばから70年くらいまでの時代に入会した会員が多数を占めていた。そうした世代が高齢化し、あるいは亡くなることで、会員が減り続けるという状況が生まれたのだ。 創価学会では、その信仰を会員の子どもや孫へ伝えていくために相当な努力を重ね、ある程度は成功した。これは、他の新宗教ではできなかったことである。だが、信仰の熱量となると、2世や3世以降の会員では、自ら入会した1世にはどうしても劣る。それも、創価学会の衰退に歯止めがかからない要因になっている。 実は、こうしたことは共産党にもあてはまる。共産党もまた大都会に出てきたばかりの都市下層をターゲットにしたからである。選挙のたびに創価学会と共産党が激しくぶつかったのも、同じ社会階層を取り込もうとしたからである。 今回の選挙で、共産党は10議席から8議席に減り、9議席のれいわ新撰組にも抜かれてしまった。共産党が力を失ってきたのも、その理由は創価学会と共通する。どちらも、戦後のブームに乗って組織を拡大してきたが、ブームが去ったことで退潮していかざるを得ないのである。