野球をしている息子からやる気を感じられず虚無感を憶えている50歳女性に、鴻上尚史が伝えた「息子は人生の大きな瀬戸際にいる」の真意とは
まして、「自分よりうまい人がたくさんいる」と言ってしまったら、弁当を残すだけで「キツイ言葉を投げて」くる母親だから、何を言われるか分からない。「どうして弱気になるの!」とか「なんのためにここまで来たの!」なんて言われるだけだろう。だから、何も言えない。 母がどれだけ自分の生活を犠牲にして、努力して、無理して支えてくれているか、よく分かっている。だからこそ、何も言えない。このまま、どうしていいか分からない。言ってしまったら母に申し訳なさすぎる。 その気持ちの表れが、大量の残飯じゃないかと思うのです。育ち盛りが残すのですから、悩んでいるというメッセージのような気がします。 どうですか、くりーむ姉貴さん。 えっ? レギュラーになれるかどうかなんて、やってみなければ分からない? そうですね。それは半分、真実ですね。でも、やる前から分かっていることもあります。 資本主義下の「物語」は、売れることが大前提ですから、「がんばれば夢はかなう」というテーマを押し出します。「がんばっても夢はかなわない」というストーリーを突きつけられると、多くの人は怒ります。特に、感情移入しているキャラクターであればあるだけ、最後の最後に「夢はかないませんでした」で終わると、「ふざけるな!」と多くの人は反発します。 だから、売れる作品になればなるほど「不可能と思われた夢がかなう」という物語を創ります。不可能と思われることと夢とのギャップがあればあるほど、ヒットの規模は大きくなります。 でも、じつは僕達は、「がんばっても夢はかなわないことがある」ということを知っています。知ってますが、見ないようにします。 「がんばれば夢はかなう」という考え方があまりにも強くなりすぎると何が起こるかというと、「夢をかなえなかった人はがんばらなかった人だ」という思い込みが生まれます。 僕は、高校野球で、野球場のベンチではなく、観客席でユニホームを着て応援する野球部員を見ると、いろんな感情が込み上げてきます。 ここまでよくがっばった、悔しいだろう、レギュラーになりたかっただろう、でも声を限りに応援している姿はすごいと、泣きそうな気持ちになるのです。 彼らは、決してがんばらなかった人達ではありません。がんばったけれど、夢がかなわなかったのです。
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