「私の顔写真がテレビで“木嶋佳苗死刑囚として紹介”された」…当事者が番組プロデューサーを直撃!
テレビの歴史的に“許されてきたもの”が許されなくなる現状への意識差
――最近ではテレビメディアの番組作りの姿勢を取りざたされることが増えてきているように思います。 「テレビの歴史的に許されてきたものが許されなくなる現状は、私自身は理解しているつもりです。しかしスタッフ全員となると、そこに対する意識の差は確かにあると思います。まさに今回、こういった形で露呈してしまいましたが、その差をどんどん埋めていかなければなりません。 局の内外を問わず番組制作に関わるすべての関係者に対して意識レベルを上げる対策をせねばならないと感じました。将来に繋がるための教育を今後はしていくべきと考えています」 ――私もライターである以上は発信者の一端です。今回のことは、改めて自身の書き手としての意識を戒(いまし)める機会にもなりました。その上で、多くのメディアの抑止力になればと、この取材をお願いしました。 「TOKYO MXは少人数制で手づくりな部分がある一方、副産物として視聴者との距離が近いという強みがありました。特に『5時に夢中!』は、視聴者に寄り添うことをモットーとしている番組であるにも関わらず、傷つく人が出てしまったことは非常に遺憾ではあります。 陳腐な言い方ですが、私たちもこの件は決して風化させてはいけないと感じたからこそ、インタビュー提案をお受けしました。これからも伝えていかないといけないし、残していかなければいけません。『5時に夢中!』の20年の歴史の中でも大きな出来事だったと思います」
もしも自身やご家族が私と同じ立場になったならば?
――では、最後にもう一つだけ。これは丹波さんへの個人的な質問になりますが、もしも自身やご家族が私と同じような立場になった時、どの様な行動を起こすと思いますか? 「………………もちづきさんと同じことをしたと思います」 ――ありがとうございました。
放送中、現場が「過ち」に気付いていたのに…
この記事を書かせていただけたこと、インタビューにも応じていただけたこと、これについてTOKYO MXさんには感謝の気持ちしかありません。ただ、それでもどうしたって未だに燻(くすぶ)っているものはあるのです。 インタビュー中に質問をしてもなお、心に沈殿しているもの。それは、「私が声をあげなかったら、どうなっていたの?」への回答です。 書面での報告書の中に、こんな一文がありました。 「A(ディレクター)は読み原稿と合っていないことに気づいて次のカットにチェンジの指示をしたが、結果として8秒間露出されてしまった」 つまりこれは、放送中に違和感以上の「過ち」に現場が気付いていたということ。だとしても、私サイドからの連絡がなければ、この件は完全にスルーされていたのでしょう。 「『5時に夢中!』で、もちづき千代子が木嶋佳苗死刑囚と誤認されちゃうかもしれない放送をされちゃった件」につきましては、これにて終幕となります。 しかし今、メディアに関わる人のすべてに伝えたい。自分たちが情報の発信者というとても怖い立場に身を置いている現実を。そして、その隅っこに身を置く端くれの弱小ライターであっても、常にその危機感には晒(さら)されている自覚を。 今回のことは私自身こそ、身を引き締めねばならない立ち位置であると再確認した一件にもなりました。 <文/もちづき千代子 写真/星亘> 【もちづき千代子】 フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama
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