命がけで逃げて…「DV夫から逃げた妻」がその後20年近く苦しんだ訳
担当者に事情を話したところ、「いまは親子で一緒にいることは望ましくない、距離をとったほうがいい」と言われ、それから2カ月ほど関係者らと話し合い、考え抜いた結果、息子を一時保護所に預けることにしたそう。それは薫さんにとって、本当に、苦しい決断でした。 その後、息子は中学に入るのと同時に、児童養護施設へ。薫さんは、息子のために自分が変わらなければいけないと気付き、精神科に通院・入院し、躁うつ病や適応障害の本格的な治療を受けました。以来、息子が高校を卒業するまでの6年間、息子とはたまに会うだけで、離れ離れに暮らしたそう。
「その間、私はすごくいろんなことを学びました。自分を客観的に見ることができるようになった。今思えばまだまだですけれど、でも本当に、貴重な時間でした」 ■息子との関係を修復できたのは… そして、2024年のいま。20代後半になった息子とは、親子というより友達のような関係だといいます。別々に暮らしていますが、顔はよく合わせており、取材の前日も「息子と夕飯を食べた」のだと、うれしそうに薫さんは話します。
「息子のことは世界で一番好き。いろんなことを話します。息子は『俺が親だったらこうする』なんて話もしてくる。たぶん私に対して、恨みみたいなものもすごくあると思うんですけれど。私のほうも『親だって初めて親をやるんだから、わからないこともある。私はあなたにちゃんとしてあげられなかったこともあるけど、私は私で必死でしたよ』って言ったりして。今は、そういうことも話せるようになりました」 息子さんとの関係をここまで修復できたのは、なぜだと思うか? そう尋ねると、薫さんは「第三者の存在が重要だった」と答えてくれました。
■ヘルプを出せる場所があることを知ってほしい 「もしずっと私と息子の一対一だったら、この関係は築けませんでした。やっぱり第三者が間に入って、子どもに状況を説明したり、私の悪いところを言ってくれたりしたから、ここまで来られたと思います。だから施設の先生には、ものすごく感謝しています。 カウンセリングも、たまたますごくいい人に当たりました。厳しいことを言われるので、泣きながら帰ったことや、もうやめたいって思ったことも何度もあるけど、続けてよかった。2年くらい前に終了しましたが、『いつでも帰ってきていいよ』と言ってもらっていて、『二度と来るもんか』と思いつつ(笑)、安心感があります」