命がけで逃げて…「DV夫から逃げた妻」がその後20年近く苦しんだ訳
その日は、間もなく訪れました。いつものようにつまらないことで逆上した夫から、殴る蹴るの暴行を受けた薫さんは、滴る血もそのままに、当時小学2年生だった息子を連れて警察へ。当時はDV法ができてまだ日が浅く、警官からは心ない言葉もかけられましたが、それでも薫さんはようやく、家を出ることができたのです。 ですが、シェルターに着いてもまだ気は抜けませんでした。これから自分はどうしたらいいのか? 生きていけるのか? 先のことが不安でおそろしく、それでも「子どもだけは絶対に手放さない」ことを心に誓い、泣きながら眠ったといいます。
その後、離婚が成立するまで約2年かかりました。夫も親権を取りたがったため、調停に1年、裁判に1年を費やし、ようやく薫さんが親権者に決まりました。 「それが息子が4年生のとき。すっごい、静かに泣いたことを覚えています。当時の息子の担任がすごくいい先生で、裁判中ずっと私を支えてくれていたんですが、離婚が成立したときは『よかったですね!』って言ってくれて。あの先生じゃなかったら、私も息子もどうなってたかなって思います」
■暴れるようになった息子と離れ離れに ところが、ほっとしたのは束の間でした。今度は、息子が暴れるようになったのです。 幼い頃から暴力をふるう父親と、足蹴にされる母親を目の当たりにし、自分も父親から暴力を受けて育った息子は深く傷つき、心にいろんなものが溜まっていたのでしょう。学校では幸い校長先生が、暴れる息子を受け止めてくれましたが、薫さんは再び殴られる日常に戻ります。毎日怒鳴られ、激しい暴言も浴びせられるようになりました。
教育相談所に通ったり、近くの病院で親子ともにカウンセリングを受けたりしましたが、息子の心はすぐには回復しませんでした。 「あの子は命がけで私に訴えていたんですよね。玄関のドアノブをガムテープでぐるぐる巻きにして、鍵が入らないようにしていたこともある。『俺がこんなに怒っているのをわかれ!』って全身で訴えていた。でも、私にはそれがわからなかったんです」 もう限界――。そう思ったのは、息子が小6のときでした。ある日、「怖くてもう家に帰りたくない」と感じた薫さんは、以前身を寄せたシェルターの運営者である「親代わりみたいな人」に電話で相談し、児童相談所を訪れることに。