ゆとり先生の教育提言(4) 被差別者が亡くなれば差別はなくなるのか?
1944年8月、多くの日本人捕虜が収容されていたカウラ戦争捕虜収容所で衝撃的な事件が起こります。「カウラ事件」と呼ばれる大規模な日本人捕虜脱走事件です。この事件では1104名の日本兵が脱走を企て、そのうち339名が死傷しています。この脱走の目的は「名誉の戦死を遂げる」こと。 当時の帝国軍人は、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」という「敵に捕まるくらいならば死を」という意識が叩きこまれていました。カウラに収容された面々は自らを「あってはならない捕虜」と考え「死ぬための脱走」を決行したのです。
「差別なくすには?」 立花さん答えは
立花さんは他の日本人収容者から隔離されていたため、脱走事件には参加せず、生き残り終戦を迎えます。しかし、日本に復員する船に乗る時複雑な気持ちであったそうです。 「自分は捕虜という生き恥をさらし国に帰ることになった。おまけにハンセン病にもかかっている。故郷に戻っても家族は村八分にされるだろう……もう懐かしい実家には戻れないな……」 復員後、故郷の家族や家族の住む集落に自分が戦争捕虜であったこと、ハンセン病に罹患したことを知られないため、人知れず岡山県の邑久光明園に入所します。病気は治っても、「元ハンセン病患者」として差別を恐れた立花さんは故郷に戻らず、一生この地で暮らすことを決意します。 「どうしたら差別は無くなると思いますか?」 交流を続ける中、あるとき高校生からド直球の質問が飛び出しました。 それに対し、立花さんはこう返しました。「私のようなハンセン病患者が亡くなり、差別偏見する人も亡くなれば、差別はなくなります」と。 自分たちの世代がいなくなれば差別はなくなるという衝撃的な言葉。この言葉をどう受け止めれば良いのか、悩む生徒たち。果たして、本当に「被差別者」が亡くなれば差別はなくなるのでしょうか。次号(「ゆとり先生の教育提言(5)分からないものは『怖い』?」=関連記事)で生徒たちが悩み抜いた末にたどり着いた考えを紹介します。