「彼らは家族」戦地ウクライナの日本人写真家 自宅売却し“移住”を決めた理由 #戦争の記憶
尾崎たちは今年初めからこの町を何度も訪れ、住民への支援を続けてきた。この日も食料や水を配っていると、顔なじみになった女性が訴えてきた。 「ボランティアの皆さんが食料を届けてくれるので、本当に助かっています。ただ水が不足して困っています」 尾崎たちが配れるのは、ペットボトルの水がせいぜいだ。住民の生命線ともいえる水を、これからどうやって届けるのか。また新たな課題が突き付けられた。
ウクライナで暮らすという決断
尾崎はことし3月からスロビアンスクにアパートを借りている。電力不足でエレベーターが止まっているため、7階の自室へ上がるのもひと苦労だ。部屋の中を撮影していると、空襲警報が鳴り響いた。この町も何度もロシア軍の爆撃を受け、住民の犠牲も出ている。 尾崎は質素な暮らしを心がけ、自炊が基本。日本から送ってもらった食材も使いながら、パスタやカレーなどを手早くつくって食べる。 ウクライナに来るまで、尾崎はテレビのドキュメンタリー番組の編集マンだった。そのかたわら、若いころから休暇を利用して中東や東欧など世界各地に出かけ、写真を撮り続けてきた。そんな生活が変わり始めたのは数年前から。編集の仕事が激減し、収入がみるみる減っていったのだ。貯金残高が8千円になったこともあった。 やがて、都内の自宅マンションのローン支払いにも困るほど追い込まれた。そして何よりも、やりがいを持って向き合える仕事が遠ざかっていった。そんな時に起きたのが、ロシアによるウクライナ侵攻だった。 「歴史的な事件を自分の目で見て取材したい。追い詰められた境遇が、むしろ追い風になりました」 尾崎は思い切って自宅の中古マンションを売却し渡航費を工面。侵攻から13日後にはウクライナに入った。現地で出会った人々に移動や宿泊の世話になりながら、戦時下の人々の撮影を始めた。
そんな時、去年4月に知人の紹介で出会った1人の牧師が、尾崎の人生を変えた。戦争前までマリウポリで教会と孤児院を運営していたゲナディ・モクネンコ牧師。150キロの巨体に軍服とサングラスをまとい、肩にライフル銃をかけていた。 ゲナディはマリウポリが占領されると、ザポリージャを拠点にマリウポリ聖職者大隊を結成。兵士や住民への支援を続けていた。尾崎はゲナディの豪快さと子供のような素直さ、喜怒哀楽むき出しで迫ってくるその姿に、とことん魅せられた。はじめは彼らの活動を取材するだけだったが、やがて彼らの思いに共感した尾崎自身も活動を手伝うようになる。