「彼らは家族」戦地ウクライナの日本人写真家 自宅売却し“移住”を決めた理由 #戦争の記憶
「真夏の炎天下、朝から晩までジャガイモをトラックから降ろしたり、凍えるような冬に雪の中を真っ暗な村を訪ねて回ったり。日本ではあまり味わったことのない『生きている』という実感がありました。」 尾崎は支援活動を通して、団体のメンバーたちと交流を深めていく。戦争で故郷マリウポリを奪われた彼らが、同胞のために必死で奉仕している姿に心を打たれていった。親しかった仲間が兵士となり最前線で倒れ、みんなで弔ったこともある。クリスマスには極寒のなか戦闘の最前線近くの町を訪れ、地下室で暮らす子供たちにプレゼントを届けた。毎日ともに汗を流し、楽しいこともつらいことも共有した彼らと、電気も水道も止まっている村での支援をしながら冬を乗り越えたことで、強い信頼関係で結ばれていった。 「彼らは僕にとって強い絆でつながった家族になりました。その家族と離れたくないというのは自然な思いでした。それがウクライナで暮らすことを決断した最も大きな理由です」
尾崎は今年4月、ゲナディ牧師に洗礼を授けられ、キリスト教に入信した。名実ともに団体の正式メンバーとなった。いつか仲間たちと一緒に解放されたマリウポリに帰還するのが尾崎の夢だ。
クラスター爆弾の戦慄
7月8日朝、尾崎のもとに隣町リマンでロシア軍の攻撃があったとの知らせが届いた。さっそく車で20分の現地に向かう。現場は町の中心部の住宅街だった。爆撃から1時間も経っておらず、軍の検査官が調査を進めていた。 検査官が手に持った爆弾の破片を見せてくれた。何枚もの羽根がついたクラスター爆弾だった。クラスター爆弾は、ひとつの爆弾から多数の小型爆弾が飛び散る兵器だ。小型爆弾は不発のまま地上に残されることが多く、これまで多くの民間人が紛争後に命を落としている。あまりに非人道的なことから、使用や製造を禁止する条約が2010年に発効し、100カ国以上が加わっている。
周辺の建物に大きな破壊のあとはないが、至る所に血痕が残っている。民間人8名が死亡、13人が負傷したという。道端に置かれた台の横に、ミルクやりんごが散乱していた。ウクライナでよく見る路上販売の女性が亡くなったようだ。尾崎はその光景を写真に撮りながら、怒りをあらわにした。 「なぜ、なんの罪もないこのような一般市民が犠牲にならなければならないのでしょうか?いったいいつまでこのような悲劇が繰り返されるのでしょうか?」 まさにこの日、米国政府がウクライナ軍にクラスター爆弾を供与すると発表した。米国も、ロシアも、ウクライナも、クラスター爆弾を禁止する条約には加盟していない。その後間もなく、ウクライナ軍もクラスター爆弾を使った。殺りくの連鎖が止まらない。