《「100分de名著」で注目!》同居家族による介護は「福祉における含み資産」…『恍惚の人』有吉佐和子が露呈させた意外な「旧感覚」
親を施設に入れる=「姥捨て」だった時代
しかし意外なことに、作者の有吉佐和子は、「介護は家族で担う方(ほう)がよい」との考えを持っていたようである。『恍惚の人』刊行後、高峰秀子と「潮」で行った対談では、「日本のように、おじいさん、おばあさん、孫が一緒に暮らすことが、いちばん老化を防ぐいい方法」「私は絶対、核(家族)反対ね」「このごろ、ヘンな舅や姑がでてきて『嫁や息子の世話にはならん』なんて、冗談じゃない」などと、熱く語っているのだ。 嫁だけが老人の面倒を見ることの不公平さを『恍惚の人』は訴えながらも、著者は介護を国が担うべきだと思っているわけではない。三世代同居をした上で、嫁だけでなく、家族皆が介護を担えばよいと考えているのであり、「含み資産上等」という感覚なのだ。 そんな有吉の思いは今、叶えられてはいない。家族だけで介護を担うことの困難さは、その後ますます顕著となり、2000年(平成12)には介護保険制度が施行されることに。介護は家族が行うべきものという感覚は、薄れている。 また『恍惚の人』には、 「老人ホームに親を送りこむっていうのは気の毒ですよねえ」 との台詞もあり、この時代の人々は、老人ホームに親を入れるのは姥捨て的行為だとの意識を強く持っていたことが理解できる。しかしそれから日本人の平均寿命がどんどん延びるにつれ、家で高齢者を看ることの困難度も上がっていく。ニーズに応じた様々なタイプの高齢者施設が増えたこともあり、親を施設に入れることは一般的になり、「送りこむ」「気の毒」という感覚ではなくなってきた。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子