昔のままの名古屋城復元は「夢物語」 差別発言を擁護する人たちが理解していないこと
名古屋市が進めようとしている名古屋城天守閣の木造復元事業。以前より事業費や耐震・耐火性能など、さまざまな問題が噴出し、当初の予定通りには進んでこなかったが、6月3日の市民討論会で、最上階までのエレベーター(EV)設置を訴えた車椅子の男性に対し、他の出席者から差別用語を交え「ずうずうしい、我慢せい」などひどい差別発言があったことで、さらに暗礁に乗り上げた感がある。 12日に名古屋市と有識者、文化庁のオブザーバーらによる「第56回特別史跡名古屋城跡全体整備検討会議」が市内で開かれた。当初はこの有識者会議で整備基本計画が承認され、文化庁に提出される運びになるとみられていたが、討論会での差別発言への対応を優先するとして、計画を承認するかどうかについてはこの日の議題にあがらなかった。そして、13日には、名古屋市の障害者らの団体による抗議集会も市役所前で開かれるなど、この事業はいまや「障害者差別」を巡る問題になっている。 実際、このニュースに関するコメントをネットで見る限り、「昔のままに木造復元するというのに、EVを設置するなどありえない」「設置を求める障害者の方に問題がある」など、差別発言を擁護するものも少なくない。しかし、このようなコメントをする人たちが、根本的な部分で理解していないことがある。それは、「実は名古屋市も江戸時代のままの完全な木造天守を造るつもりなどまったくない」ということだ。わかりやすく解説したい。(歴史ライター・水野誠志朗/nameken)
EVがなくても「完全復元」ではない
河村市長が「観光の目玉」として現在のコンクリート天守を取り壊して、1945年に空襲で燃えた「国宝」名古屋城を木造で再建しようと言い始めたのは今から10年ほど前のことだ。コンクリート天守は、再び燃えないようにと願いを込めて1959年に外観を復元したものだ。当時、予算6億円に対して市民から2億円もの巨額の寄付が集まり、以来名古屋のシンボルとして多くの観光客を集める役割を果たしてきた。ただ、建設から50年以上が経過していたことで老朽化が進み、さらに耐震性の問題なども指摘されていた。そんな中で出てきた河村市長の「木造建て替え」という話は当初、多くの支持を集めた。旧名古屋城は図面や写真など豊富な史料が残っており、専門家からも木造復元は可能とされた。 ところが実際に進めるとなると、課題が多かった。名古屋城は国の史跡であり、文化庁の許可なしには建て替えられないのだが、文化庁が認める絶対的な価値は、天守ではなく創建当時から残る石垣。再建するには石垣を調査し、保護方針を決める必要があった。調査には多くの時間がかかったが、現在はやっと調査報告書ができている段階までこぎつけた。ただ、天守下の穴蔵石垣という部分などは、調査が終わっておらず、今後どうするかという課題は残ったまま。また、調査の結果、石垣の劣化はかなり進んでおり、地震規模や場所によっては崩壊の危険があるとされ、その対応も急がれているところだ。 次に天守だが、復元とはいっても新築の木造建物である。巨大木造建築物として、建築基準法の適用を受けるかどうかが課題となった。しかし、それ以前の問題として、そもそも「観光客を入れる」とうたう以上、安全は絶対条件。江戸時代のままに再現すれば、耐震・耐火性能に問題があることは明らかだ。もし、千人単位の観光客の入城時に火災が発生し、首里城のように燃え上がったとしたらどうなるだろうか。取り返しのつかない大被害となることは容易に想像できる。 このため、名古屋市が考えたのは「ハイブリッド」構造の木造建物だ。様々な補強を加え、燃えにくい工夫も施し、スプリンクラーや史実にはない階段を非常用に追加したものを造ることにしたのだ。もちろん、電気も引く。「できるだけ史実に忠実に」と言っているが、客の安全を確保しようとすれば「完全復元」とはならない。筆者が知る限り、このあたりの報道はあまりないため、ほとんどの人はこのことを知らず、「江戸時代と寸分たがわぬ木造天守が造られる」と思っている人が大半のようだ。だからこそ、EVのみが昔のままの復元を妨げるものであると思い込んで、「障害者は我慢しろ」などというひどい差別発言が出てくるし、それをあたかも正論であるかのように擁護する人が出てくるのではないか。