「2021名古屋市長選・河村市政12年の検証」第2回 混迷深まる名古屋城木造化
「市長主導の木造復元ではうまくいかない。私達は11人乗りのエレベーターを検討している」「市長が言うように天守が先、石垣が後では何年かかっても木造復元などできない」 「2021名古屋市長選・河村市政12年の検証」第1回 「河村流ポピュリズム」の是非 今年3月8日の名古屋市議会本会議。自民党の浅井正仁市議は、名古屋城木造復元事業のトップである松雄俊憲・観光文化交流局長が関係者にこうした内容のメールを送っていたことを暴露した。 名古屋城の木造復元は、河村たかし名古屋市長が2009年の初当選後に言い出し、2013年や2017年の市長選でも公約に掲げた河村市長の目玉事業だ。にもかかわらず、なぜ市幹部がトップの意向に背くようなメールを送っているのだろうか。
事業のこれまでの経緯
河村市長が強いこだわりを示すこの事業だが、今から6年近く前の2015年6月の市議会で実現に疑義が出されると、市民からも「木造は火災に弱く危険。違法建築だ」という反対意見が出始める。 その年8月、「市長が全責任を取るので全力で取り組め」という指示書が市の担当者あてに出され、2016年になると竹中工務店からエレベーターや避難階段などを備えたプランが示される。しかし、今度は河村市長が「これでは復元ではない」と提案を拒否。これにより、当初東京オリンピックに合わせて2020年の竣工を予定していたが、2年の竣工延長が決まる。 2017年5月には「石垣の調査・保存を優先すべき」との専門家意見が出る。国の特別史跡である名古屋城は、文化庁の許可がないと建て替えはできない。しかし、専門家同様に石垣を重視する文化庁からはいつまでたっても許可が出ない。 しびれを切らした河村市長は2019年2月、突如、「建て替えでなく天守解体を先行する」として文化庁を訪問。しかしやはり文化庁から解体許可が出ることはなく、半年後には2022年の竣工予定もあきらめることになる。 さらに資料館建設工事中に誤って地下遺跡を壊してしまう重大事故(2020年3月)や石垣裏にあるモルタル落下事故(2020年10月)が発生。そして、2020年11月には、本丸西の内堀調査で、幻の西小天守関連と思しき新たな地下遺構が発見される。 そんな中で送られたのが、前述のメールだった。