名古屋城エレベーター設置問題 河村市長の「1、2階までなら合理的配慮」発言に障害者団体抗議 なぜこのような事態が起きる?
国の特別史跡である名古屋城を江戸の時代そのままの姿に――。 河村名古屋市長のそんな号令の下、8年ほど前から始まったのが名古屋市の名古屋城木造復元事業だ。これまでも揉めに揉めてきたが、上階への移動手段をめぐり、障害者団体がまた抗議の声を上げている。 障害者団体はかねてより、車いすに乗ったままでも上層階(1612年の完成時は5層5階地下1階の建造物)に上がれるようエレベーターの設置を要望してきた。それに対して、名古屋市はこの12月、できるだけ上層階まで各階を行き来できる「昇降機」をとりつけるとし、小型の「昇降機」を導入することを発表した。 名古屋市は障害者団体の要望に叶えたかに見えたが、河村たかし市長が「1階、2階のところで取りあえずはお願いしたい」「1、2階までだったら合理的配慮と十分言える」などと発言したことから、障害者団体が抗議文を提出する事態に至っている。 なぜこのようにいつまでも混乱が続いているのか。問題の本質を改めて整理したい。(歴史ライター・水野誠志朗/nameken)
名古屋城は「完全復元」されるわけではない
8年ほど前に木造復元を言い出した河村市長は「歴史的建造物の復元とは資料に基づいて同じものを造っていく行為」として、名古屋市が当初計画した、木造ながらエレベーターなどを備えた設計を否定し、初期段階からエレベーターを設置しない方針を表明。しかし障害者団体などからの要望もあり、エレベーターの有無で揉め続けてきた。そこで今年度は木造天守の内部構造を変えることなく上階に登れる新技術を公募した。河村市長はかねてより「ドローンやロボット、はしご車などの代替策があり得る」などと話していたが、応募の中に期待するような画期的なものはなく、審査の結果、木造天守の構造物(柱や梁など)を外さなくても取り付けられる小型の「昇降機」が採用された。 もちろん、江戸時代に小型といえども「昇降機」などあるはずもない。完全復元を望む立場の人から見れば、違和感しかない。その立場の代表で「史実に忠実な完全復元」にこだわる河村市長が、上まで行けなくても合理的配慮としては十分だ、という内容の言葉を口にするのは、「自分の側が妥協している」という思いがあるからだろう。 しかし、そもそも建造を目指している木造天守は、河村市長がこだわっているような「完全復元」がもはや不可能であることをまず知っておく必要がある。 名古屋城は国の史跡となっている。そのため建て替えるには文化庁の許可が必要となる。河村市長が復元を言い出したころは、文化庁も復元の定義を明確にしておらず、市長は復元なのだから、現代の建築物に課せられる耐震・耐火といった建築基準法の適用除外を受けられると考えた。しかしそのころでも市の担当者は、観光客を内部に入れる以上は耐震・耐火・バリアフリーは必要と考えていたようだ。つまり河村市長の完全復元への思いと客の安全・バリアフリーという現実問題の折り合いがつかないまま、迷走を続けてきたのがこの木造再建事業ということになる。 当初は完成を東京五輪に間に合わせるといっていたが、2022年末に至っても、文化庁からの許可すら出ず、1959年に建てられた現在のコンクリート製天守はそのまま美しい姿で立っている。ただし、耐震性に問題があるとされ、入場禁止になったままだ。 この間、文化庁は2020年4月にはっきりと復元の基準を打ち出し、「復元」する場合でも「歴史的建造物の構造及び設置後の管理の観点から、防災上の安全性を確保すること」とした。これは「完全に昔のまま」に再現するのは無理、とも読める。江戸時代の建物を完全復元すれば地震や火災に弱いことは明らかだから、何らかの対応をしなさい、ということだろう。 現在名古屋市が文化庁の許可を得ようと計画中の木造天守も、耐震のために見えない部分を金属などで補強し、耐火壁やスプリンクラー等を設置したものだ。さらに入場者が災害時に避難するための「史実にはない階段を追加」している。そして今回、小型昇降機も設置することになり、相当ハイブリッドな木造天守となっている。 避難階段などを加えたのは、この城を多くの人が入城する「観光施設」にしなくてはならないからだ。というのも500億円を超える木造再建事業費は、50年間にわたる入城料収入で賄う予定で、多くの観光客を城の中に入れることが大前提の資金計画となっている。もし江戸時代のままに「完全復元」して火災でも起きれば、観光客に大きな被害が出る可能性が高いから、名古屋市としては安全対策をせざるを得ないのだ。つまり市長が希望する完全復元はそもそも無理ということになる。 さらに、現実問題として完全復元とはならない決定的理由がある。 というのも、天守は本来、石垣の上に載せられているものなのだが、載せれば加重で石垣を痛めるため、木造といえども現在のコンクリート天守を支えている地中の太い杭(ケーソンと呼ぶ)を利用してその上に乗せることになる。名古屋城の石垣は江戸時代の姿をそのまま残しており、再建天守よりずっと学術的な価値が高いからだ。つまり、基礎構造の段階で、すでに完全復元の道は絶たれているのだ。 1945年の名古屋空襲で焼失した名古屋城は、当時の国宝だったこともあり、写真など多くの調査資料が残っている。このことで河村市長は「日本で唯一、史実に忠実な復元ができる」とこの事業を始めたわけだ。ところがそれはもはや無理なのだ。防災上の安全性を確保されていない完全復元では文化庁の許可はもらえない。しかし名古屋市民はもちろん多く歴史好きの人たちも「江戸時代の姿そのままに復元される」といまだに信じている。しかし作られようとしている天守は、江戸時代の戦闘用の城ではなく、客を入れることを前提とした「観光施設」として復元された城なのだ。なお、こうした復元作業は文化庁がいうところの「復元的整備」に当たると考えられる。これは多くの人が歴史に親しんでもらえるよう、できるだけ昔の姿に近いように復元的に整備する、というものだ。