大切な葬式の日に息子が初オネショ…シングルファザー住職の「二足のわらじ」奮闘記
このフレーズには、ふたつの学ぶべきポイントがある。 経典の言葉をかいつまんでいえば、「苦しみを知れば、苦しみから解放される」と単純な理屈になる。しかし、「わかっちゃいるけどやめられない」というのが日本的な感覚ではないか。たとえば、お酒が好きな人なら、「お酒を飲んだら次の日がしんどい」「肝臓の数値が悪くなる」とわかっていても、ついお酒に飲まれてしまう。 つまり、お釈迦さまが弟子に語った時の「知る」と、私たちが用いる「知る」の質が違う。私たちは「頭ではわかってるんですけど……」と反省の弁を述べることがあるが、お釈迦さまからすれば「行動が変わらないような薄っぺらい知は、知と呼べない」のである。 お釈迦さまは、弟子を教え導く時に人間の知性に大きな希望を見ていた。思考を調えていけば自然と人生の質は変わっていくと信じていた。 ● 貧富の差が広がる日本で “シングルファザー”であること そしてもうひとつは、この言葉が語られた時代背景である。すでにいわゆるカースト制度が定着していたインドにあって、生まれた境遇のために人生に悲観的になることを戒めている。出自を嘆いたところで何も生み出さないが、目の前にある苦しみを冷静に見つめて少しずつ解決していけば、人生の質はその分だけ変えられる。
現代の日本は、インドほど階級意識がはっきり成立しているわけではないが、「一億総中流」と言われた頃に比べれば貧富の差が開いていて、所得の少ない家庭に生まれると教育環境に恵まれず、資格の取得やスキルの習得ができないため就職する際に不利になるという「負のスパイラル」を抱えている。子供が親を選べないことを嘆く「親ガチャ」という言葉が2021年の新語・流行語大賞トップ10に選出されるほど普及したのも、階級社会化している状況への不満が広くくすぶっていることの表れにほかならない。 私の今置かれている状況も例外ではない。ひとり親家庭では、子供に寄り添える時間がわずかしかない。十分な教育環境を用意してあげられない可能性も高い。「負のスパイラル」という悲劇は私たち親子にも避けることができないのだろうかと不安に駆られた。 シングルファザーにどんな困難が待ち受けているのかなど、わからないことばかりで考えても解決する糸口すら見えない。それでも経典の言葉が教えてくれた「考えることで現実は変えられる」というお釈迦さまのメッセージは、私を大きく勇気づけてくれた。 ● 葬儀の日に 初めてのオネショ もっとも離婚早々の頃は、「考える育児」など実行する余地がなかった。「考える育児」は、考えるだけの時間の余裕があって初めて成立するのであって、現実には「瞬発力」のみで目の前の日常に対処しているだけで、毎日があっという間に過ぎていった。