「日本に適応できない」? インターナショナルスクール卒業生の〝その後〟 国内で進学、就職した結果
「日本で生まれ、日本で育ち、日本で暮らしていく」という子どもたちの中で、日本国内のインターナショナルスクール(インター校)に通う選択をする人が増えているそうです。背景には幼少期からの英語教育熱が高まっていることや、国内でインター校が増えていることがあると言います。インター校で育つと、日本社会に適応しづらくなったりしないのでしょうか。卒業生はどんな人生を送っているのか、小学校から高校までインター校で学び、日本で就職した男性に話を聞きました。(withnews編集部、松川希実) 【画像】日本人にも人気、インド系インターナショナルスクールの様子
インター校で身につけることができた「生きる術」
会社員の佐藤さん(仮名、30代)は、小学校~高校まで、都内の欧米系インター校で学びました。 もともと父に留学経験があり、バブル崩壊の経験から「この先、日本がつぶれても生きていけるように」と、英語が身につくインター校を勧めていました。 一方で、母は「インター校じゃ日本社会に適応できなくなるかも」と懸念し、最初は佐藤さんを公立の小学校に入学させたそうです。 しかし、小2の時に父の仕事で1年半、イギリスで暮らし、現地のインター校に通った時、佐藤さんは「自分に合っている」と感じて、帰国後もインター校に進もうと決めました。 日本のインター校は、1学年70人程度で、授業ごとに教室を移動します。ホームルームを受けるクラスは20人程度。同級生には多国籍の駐在員の子のほか、親が芸能人やサッカー選手などという日本人もいました。「アフリカ帰りの子や、超秀才など面白い人が多く、刺激がありました」 転勤などで生徒の入れ替わりも激しい環境でした。「バックグラウンドが異なる人と話すことに抵抗感がなくなりました。インター校で身につけることができた、大事な『生きる術』の一つです」
日本史ではなく「アジア史」
インター校には「日本史など日本の一般教養や、日本語がなおざりになるのでは」というイメージもあります。 佐藤さんは、インターの高校では「アジア史」を専攻し、日本の歴史も学んだそうです。そこでは、江戸時代以降の「近現代史」を集中して学び、試験は暗記するものではなく「この事柄が影響を与えたことについて」などのテーマについてエッセイを書くものでした。 日本語については「第二外国語」として履修し、毎日、勉強していたそうです。 それでも、日本語ができる級友と話すときは、文章中に英語と日本語が混ざることがしばしば。「So it’s like、本当に面倒くさくて、but I want to go there…」など「『面倒くさい』とか『懐かしい』とか、日本語の方が伝わりやすい言葉だと、つい混ぜてしまいました」。 その習慣に「やばいな」と感じたのは、12歳の時でした。父の仕事で再びアメリカに1年半滞在した時、現地の学校で、英語で言葉が出てこなくなったことがあったそうです。 それ以来、「一つの文章は、一つの言語で終える」という自分のルールを作り、徹底しました。