聴こえない親に、いじめられていることを相談できなかった理由
ろうの両親の元に生まれ「コーダ(聴こえる子ども)」として育った、作家でありエッセイストである五十嵐大さん。小さな港町で家族に愛され健やかに育つも、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づき──。誰も知らない場所でふつうに生きたいと、逃げるように向かった東京で五十嵐さんが知った本当の幸せとは? 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』から一部を抜粋して紹介します。 ※画像はイメージです
ぼくが通っている中学校ではいじめが起きていた。それに気づいたのは入学してすぐの頃だ。同じ小学校だった女の子が一部の女子から無視されているらしい、という噂を耳にした。いじめの主犯格は、ぼくらとは異なる小学校に通っていた生徒たち。制服を着崩し、髪の毛を茶色く染めている彼らは、見るからに近寄りがたい。 関わらない方がいい。反射的にそう思った。彼らに目をつけられたら終わりだ。波風を立てないよう、出来る限り目立たず静かに生きることを心がけた。でも、どんなに目立っていなくたって、彼らのなかに「いじめる理由」が生まれれば、あっという間に標的にされてしまう。一年生の冬、ぼくはいじめのターゲットにされてしまった。 最初は些細なことだった。廊下ですれ違いざまにからかわれる。もう覚えていないけれど、「なよなよしてんなよ」とか「うざい」とか、そんなことを言われた気がする。そのうち、根も葉もない噂を流されるようになった。「五十嵐は何組の◯◯が好きらしい」とかその程度のもの。相手にしても無駄なので、それらを無視して振る舞っていた。 すると、ぼくが応えないのが面白くなかったのか、放課後に呼び出されるようになった。掃除をしていると、「後で何組で待ってるから」と胸ぐらを摑まれる。もちろん、ぼくみたいにカーストの最底辺にいるような生徒に拒否権はない。むしろ、行かなければ翌日なにをされるかわからない。 指定された教室へ向かうと、ぼくをいじめていた奴らが待ち構えている。ただならぬ雰囲気を察知して、大人しい生徒たちはそそくさと出て行ってしまう。何人かに取り囲まれる。 「お前さ、態度よくないと思うよ?」 「ビクビクしてんなよ」 「いっつも暗くてキモいんだけど」 そんなことを言われても、どうしたらいいのか。ただひたすらヘラヘラ笑って、心を殺した。これくらい大丈夫。大丈夫だから。 そこまでされても学校を休んだりはしなかった。いじめに負けてしまうことがかっこ悪いと思っていたし、なにより、母になんと説明したらいいのかわからなかったからだ。 手話をきちんと学ばなかったぼくにとって、それは片言の英語みたいなもの。不十分な語彙で自分が置かれている状況を正確に伝えるなんて、無理な話だ。第一、ぼくがいじめられていることを知ったら、母はきっと自分を責めるだろう。自分の耳が聴こえないから、障害者の子どもだから、この子はいじめられている。そう受け止めてしまうに違いないと思った。母を守るために、耐えることを選んだ。 でも、耐えていたって状況はなにも変わらない。いや、もしかしたら、このまま我慢し続けていれば、彼らもやがては飽きてターゲットを変えるかもしれない。ただ、それがいつになるかはわからないし、卒業するまでこのままかもしれない。それまで心がもつだろうか。