初代タイガーマスク・佐山聡が残した偉業の数々 元東スポ記者が「手作りマスク」、総合格闘技の取り組みの裏側を明かした
――タイガーマスク以前に、日本人の覆面レスラーはいたんでしょうか? 柴田:日本人初の覆面レスラーは1967年7月デビューの「覆面太郎」です。正体は国際プロレスのストロング小林さん(のちのストロング金剛)でした。それまでは、マスクマンといえばメキシコでしたね。ちなみにメキシコに覆面レスラーが多いのは、昼間はほかの仕事をしていて、試合の時に正体を隠す必要があったからです。 日本で大ブレイクしたのが、"千の顔を持つ男"ミル・マスカラス。1971年3月6日には前橋で、猪木さんと1度だけシングルマッチを行ないました。3本勝負で、1本目は体固めでマスカラスがとり、2本目がコブラツイストで猪木さん、3本目も猪木さんがリングアウト勝ちを収めましたね。 ――マスカラスのマスクは一枚の布という感じだったのが、タイガーマスクのマスクは耳や髭がついて立体的になりました。 柴田:そのあたりが日本人らしいですよね。アニメのタイガーマスクに近づけようという意図もあったんでしょうけど。 【総合格闘技の礎を築いた】 ――佐山さんは、新日本の野毛道場から渋谷まで走っていたとも聞きます。 柴田:運動神経がよくて、ポテンシャルも高かったですね。トレーニング代わりに渋谷まで、往復で20km以上を走っていましたよ。足も速かったし、もちろん飛んだり跳ねたりする能力もすごかった。 ただ、プロレスに取り組むうちに、格闘技に傾倒していきました。1984年8月10日、新日本に対して契約解除を告げ、引退を宣言。その後、日本初の総合格闘技ジム「スーパータイガージム」を設立します。 当時、打撃と組み技を融合した「総合格闘技」というジャンルはありませんでした。佐山さんの格闘技はシューティングと呼ばれ、それがのちに「修斗」になった。これも革命ですよ。「技は見て盗め」と言われていましたが、佐山さんはひとつひとつ言葉で説明し、生徒を指導しました。これが現在の総合格闘技の源になっています。この思想がなければ、現在の総合格闘技は存在しなかったかもしれませんね。