初代タイガーマスク・佐山聡が残した偉業の数々 元東スポ記者が「手作りマスク」、総合格闘技の取り組みの裏側を明かした
――そのルールブックは、ワープロを駆使して作成されたそうですね。 柴田:当時はパソコンがなくて、発売されたばかりのワープロを使っていましたね。佐山さんはとにかく新しいものに敏感だったし、"先見の明"があるというか......。感性が研ぎ澄まされていたし、「まるで猪木さんのようだ」と感じていましたよ。 ――修斗では身体を守るためにヘッドギア、レガース、オープンフィンガーグローブも使用されました。オープンフィンガーグローブも、佐山さんの考えたものですね。 柴田:そうですね。1977年10月25日、猪木さんが日本武道館で、アメリカのヘビー級ボクサーで映画『ロッキー』の主人公・ロッキー・バルボアのモデルになったと言われているチャック・ウェプナーと「格闘技世界一決定戦」で対戦しました。この時、猪木さんは佐山さんが試作したオープンフィンガーグローブを使用して戦っているんです(試合は逆エビ固めで猪木が勝利)。 佐山さんがタイガーマスクとして活動した期間は、1981年4月23日からわずか2年4カ月間と短かった。それでも、プロレス界や格闘技界に与えた影響は、力道山さんや猪木さん、ジャイアント馬場さんなどに勝るとも劣らないと思います。 もともと男性ファンの多かった新日本の会場に、女性ファンを呼んだのが藤波辰爾さんで、子供のファンを呼んだのは佐山さん。タイガーマスクが活躍していた時期はどの会場も満員だったし、スーパーヒーローでしたね。 【プロフィール】 柴田惣一(しばた・そういち) 1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。
大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi